「映画 けいおん!」世界侵略 ロンドン決戦!

映画 けいおん!」を遅まきながらBDでようやく観た。色んな意味で「けいおん!」を体現している映画だった。
ここでいう「けいおん!」とはコミックではなく、テレビアニメを指す。

テレビシリーズの時点から山田尚子監督は「けいおん!」ワールドを構築するのを第一とした。
その際に一番に優先された技巧がビジュアルのパッチワーク。「けいおん!」はとにかくパッチワークが異常で実際に存在する楽器はもとより地形や電化製品、日用雑貨に至るまであらゆる現実世界のものを細かく描写してアニメにとりいれてある。
ただし、山田監督は実際に存在するものを作品に取り込んでしまう際に、一度解体を行って再構築し作品の中にとりこむといったプロセスをとっている。
舞台となる豊郷町立豊郷小学校にしたって、元来が小学校で高校じゃない。滋賀、京都が元ネタといっても色んな地形を大分に凝縮してある。
アニメ化の際には電柱や置物、看板など雑多なものを画面から除外し、潔癖感が漂う印象を残すような変更が施されてもいる。軽音部がそこにいてもおかしくない風景を作りだすのに心血を注いでいる。

この風景はいわばけいおんの登場人物達が「日常にあるかもしれない虚構の世界」で活躍しやすいようにあらゆる場所から部品を集めて最適化した庭園だ。
範囲が限定されているとはいえ、庭園がそうであるようにこれだけあれば十分満足できるように入念に手を入れてある。

ところが劇場版ではロンドンに行く。ロンドン、と地名を限定してしまった以上、ロンドンを描くという制約が与えられる。
しかもけいおんの時代は明らかに現代だから現代に存在するロンドンを描写する必要がある。
ウリもの一部も「けいおんメンバーがロンドン旅行」だ。テレビシリーズのように庭園、虚構空間を作ってしまう訳にはいなかない。

  • 肉を食べたといっても生で食べる訳じゃない。

けいおん!」を維持し続ける以上、ロンドンも「けいおん!」ワールドに変化しないといけない。ただしその方法論がテレビとは異なる。
映画 けいおん!」の絵コンテを参照してみるとそれぞれのコマに描かれている唯たちや景色は割とこざっぱりと描写されているけど、時折しきりに目を引くコマがある。ロンドン市街各地のロングショットが描かれているコマだ。
このコマだけがスタッフがロケハンに足を伸ばした折りに撮影した風景の写真が転用されている。このコマだけ異常に密度が高い。
しかし実際のシーンも実写を使っているのかと言うとそうではなく、当然CGやセルに変換されているのだけれど、CGを使って参照した写真のように細かく描写はしてもどこか曖昧な感じの残る、ゆるい仕上がりになっている。

                  

このように細かい描写をしつつも余裕がある。隙間が多いと言えばいい。色の薄い部分が目立つ。
けいおんメンバーがこれらの建物や乗り物に接近し、乗ったり入ったりするとそれらはその隙間と薄い色から形と雰囲気を変える。
あからさまに姿を変える訳じゃない。
けいおん!」の世界に相応しいフォルムになるように巧妙にディティールから崩れだし、巧みに姿を変える。
これは純粋にキャラを際立たせるだけ、という目的だけでなされた手法ではない。唯たちとロンドンの風景が同時に映るシーンになると画面はロングショットに切り替わるという作業が多くなることから、隙間を多く持たせ、その部分から世界の一部をゆるく改変しようという意図が明らかになる。

                    

ディスカウント内のけいおん。画面右の圧迫感のあるのがイギリス領域。左のややゆるいのがけいおん領域。
カウンターの親父を見れば一目了然だが、けいおん領域にとりこまれた人物もゆるくなってしまう。
常にという訳じゃないけど、この見えない仕切りみたいなものは随所にみられる。

日本とイギリスの境界線であるエアポートではイギリス領域の左部分が微細に描きこまれ、けいおん領域の右の空間にはあからさまな余裕があるように。

                     

日用品も同じだ。微細にイギリスの日用雑貨が描写されているが、それらは唯たちが仕切りを越えて接近すればするほど「けいおん!」の世界に相応しい形状に姿を変えていく。
唯たちが劇中一番多用する日用品がベッドだが、これがほぼ唯たちの部屋にあるベッドと変わりがない。布団に至っては日本にある蒲団以外のなにものでもない。イギリスの掛け布団なのだけど、同時に日本の蒲団でもある。
ロンドンで寝ている唯は自宅で寝ている唯と遜色ない。画像だけでは区別出来ない。

                     

映画 けいおん!」でははじめから世界が庭園として最適化されているのではなく、唯たちに影響を与えるものに唯たちが接近すればするほど現実のロンドンから「けいおん!」のロンドンへと最適化する形式をとっている。

                     

そして、けいおんがいないだけでロンドンはこんなに雑多になる。

一方、唯たちが日常で物理的に使用しているものをイギリスで再現するのは周到に避けている。
唯たちがしょっちゅう口に運んでいるお菓子は日本から持ってきたものだが、お菓子は口の中にはいるので日本のけいおんワールドの一部だ。だけどHTTのメンバーが憧れていたアフタヌーンティー、唯たちが日常使っている日用雑貨といった、日本のけいおんワールドがロンドンに接近するとそれらは接近を阻害される。ここでとられる処置は日本の日用雑貨がロンドン全体を最適化してしまうのを避けるのにとられた手口だ。
丁度、映画の劇中で映画が上映されるとその画面にはなにも映っていないのに等しかったり、映画のシーン自体が省かれるといったように。
例えば押井の「紅い眼鏡」では劇場内には効果音が激しく流れているにも関わらず、画面にはシンボルとなる少女の目が延々と静止画で映し出されている。

映画 けいおん!」の終盤ではこの手法をさらに逆手にとった手法がとられ間延びしたような緊迫感を生む。制作者が意図的に観客を誘致している。

画面の構図をコントロールするというのは実写に比べてアニメでは比較的実行しやすい手法だけど、実地に移している監督は少ない。
山田尚子監督が自覚的にしろ無自覚にしろ、この手法を頻繁に取り入れているというところからは「けいおん!」ワールドを構成する作業に思考のかなりの部分を傾けているのがうかがえる。

この仕切りはゆるさだけではなく、時には梓と唯たちとさわ子という三世代に渡った軽音部の人間関係にも及ぶ。ロンドンの地下鉄では青いタイルの左側があずにゃん領域、右側が三年生領域といったかたちをとって。

                    

  • 映画は撮らない

映画 けいおん!」ではロングショットやパン、光源による効果などを意図的に避けている。
これは別に山田監督が不勉強な訳じゃない。
実際に映画的手法は見せ場においてはこれでいいいだろうというくらいに使われている。
だけど、その手法を全編に渡って使用しては、いくら「劇場版」といってもテレビシリーズとの乖離が生じてしまう。
この映画の観客の大半は熱心な映画ファンではなく、熱心なけいおんファンだ。
だから劇場版では映画的手法はなるべく避けて作られている。時によってはこれはテレビだろうみたいな感覚が生じるくらいに。

冒頭にも書いたように色んな意味で「けいおん!」を体現している映画だった。音楽面においてもそれは言える。劇場での演奏の音響効果はCD「放課後ティーテイム2nd」の音響効果とほぼ同じだ。「HTT2nd」のCDから音源を取ったんじゃないかと疑うほどに。

映画 けいおん!」は映画を撮るという行為よりも「けいおん!」ワールドを死守する行為に比重をかけた職人気質の娯楽作品だ。