デレマスはじめました。


先月は更新しなかった。二次創作関連で新しい事あったし、コミケ落選したり、仕事が辛かったり、四国に旅行行ったりしてて、まあ、ブログは最後の方に回すかな的な発想で。時間が空いてたらぼーっと音楽聴いてエネルギー溜めるとか。別にリア充になった訳ではないです。


息子の書いたB級小説が映画化。
『ワールドウォーZ』。原作者の親父、メル・ブルックス的にはどうなんだろう、というか映画監督だから「まあこれは映画化の際に仕方ないよね」みたいな観方をしたのもあったんではないかしら、と思う。と邪推する。全然関係ないんだけどこの映画をえらく貶しているサイトがあって、それが、もう凄い。過去のゾンビ映画を引用しまくって「如何に『ワールドウォーZ』が過去の名作ゾンビものに劣るか」みたいな記事書いてるんだけど、ひどく尊大な文体で書いてあるから映画の紹介したいのか、自分の知識披露したいのかよく分からない。

ところで、この「他作品と比較して長所(短所)を探す」ってのはぼくも時々やってしまうんだけど、ぼくとしてはあまりいい手とは思っていない。だってその時点で引き合いに出されたほうは何らかの形で劣る、みたいな言及の仕方になるじゃん。え、それは劣ってるんじゃないの、というのはそれはその点だけであって、他にも観るべきところは当然ある訳で、そんな事言われても、そうですねえ、みたいにしか言えん。

「作品を比較して新しい方を讃える(悪い点を指摘する)」ってのは昔から批評家とか翻訳家の権威が多用してきたパターンで、歴史は長い。だから読書熱心なブロガーほどこの影響は受けやすいのかなとは思う。そのブログを読んだ駆け出しブログが「成程、こうすれば簡単に長所と短所が洗い出せるのか」と思って引き継いでいく……みたいなパターンはあると思う。確かに簡単な方法ではあるし。ぼくとしてはここ一年前くらいからなるべくそういう言及の仕方は避けるようにしている。過去記事は酷いけど。かと言って単に作品を説明するのに昔の類似作を持ち出したりするのは仕方ない所はあるので、それはそれでしょうがないかなと思います。まあ、優劣を決めるのに比較を使いたくない、というそれだけです。


本編? ぼくは特に。普通のゾンビ映画だなって感じで。全然コメントになってない。まあ、そういう映画です。でもゾンビ好きは観たほうがいいし、原作は優れているのでセットでどうだろう。記憶に残っているのが、この映画、安全地帯がないんだよね。完全密閉された安全地帯があって浮かれてても、そこをゾンビに逆手に取られて逃げ場のない殺戮場と化して侵略されてしまう。
そういう「一人残らずゾンビにしてやるからな! みんなで歌とか歌ってんじゃねーよ! お前も仲間になれ!」みたいな制作側の執念は好きです。

ぼくは粗悪なブロックで遊んでいました。
『レゴムービー』ネットで「ここが再現されててリアル! こういうのレゴブロックであったよ!」とか言われても、ぼくはレゴブロックで遊んだ記憶がないのでよく分からんかった。親もやけに厳格だったし。その影響で遊ぶブロックはすごいでかいの。レゴの二倍くらいあるやつ。親的には口に入れて遊んだらヤバいことになるから気を使ったんだと思う。

『レゴムービー』はどうかっていうと、光の段取りがすごかった。ここに光源があるとしたら、ブロックがこう動けば光の差し込む角度や反射の仕方も変わる筈で……みたいな事にとてもこだわっていて、これはすごいなあとしか言いようがなかった。才能のある奴に金と資材を渡したらものすごい映画を作ってきた、みたいな感じはある。展開は観てる間は夢中になってたんだけど、今になってみると丁寧ではあるが普通のシナリオの運び方ではある。しかし観ている間はそんな事は全く感じなかった。そういうシナリオと映像が現代向けに綺麗にアップデートされてた感はある。

実録もの
ウルフ・オブ・ウォールストリート』プリオのベルフォートが兎に角いい映画。ドラッグ依存でセックス依存で、消費信仰の塊、ベル君。ただしモノローグのベル君が饒舌かつ、嘘を平気で吐くのを示している通り、口先だけは兎に角回る。ベル君が口先一つでウォール街をのし上がっていく痛快映画。重要なのはどう考えてもワルのベル君がヒーローに見える事。これ、ベル君はぼくらがやりたくてたまらないけど、社会的、倫理的、道徳的にアウトだから我慢していることを簡単にほいほいやっちゃうからなんだよね。ベル君は本当にいいキャラ。こいつ、ドラッグ依存でセックス依存で消費信仰の化身だから辛い事があるとすぐそっちに逃げちゃうんだけど、口先だけは回るからそれでなんとかなっちゃうんだよなあ。とことんアッパーの雰囲気で暗いはずの場面にもどこかユーモアがある。スコセッシもこんなの撮るようになっちゃったんだ、みたいな感じはした。


アニメは何をクリアしたっけ。『さばげぶっ!』は面白かった。肩の力を抜いて観られた。ちょっと撮りためて週二くらいのペースで消化するのが楽しみだった。普通に可愛いよね。

バブみ系ハーレム
ダンまち』。ベル君が可愛い。アイズもそうなんだけど、ベル君は可愛がり甲斐があるのでつい甘やかしてしまいたくなるんだよな。ベル君の周囲の女性はお母さんみたいな存在で、だから正直な感想はベル君は余所から観たらハーレム状態だけど、あれは御母さんたちが息子に世話を焼いている状態に近いので恋愛感情には発展しないと思う。ちょっと例外が二三人居るけど。純粋にベル君を恋愛対象にしているのはヘスティア様だけでしょ。しかし、家族の居ないベル君はアイズをお母さんの肩代わりとして恋愛感情を抱いており、ヘスティアはあくまで「神さま」なので何をしても「神さまの恩恵は有難い」にしかならないんだと思う。そう考えるとベル君って一寸地雷だけど。でも正直な所、男は女性にどこか母親を求めている部分はあると思う。これは覆しようのない事実。風俗だって、風俗嬢がママになってくれる商売が成り立ってるんだから。話逸れた。ヘスティアの愛情はベル君にいくら注いでも尽きる事はないので、本当はヘスティアがお母さんポジなんだけど。まあ、男はちょろいので、女の子がちょっと優しくしてあげれば「お母さんだ」って勘違いしてすぐそっちになびきますよ。紐は特になにも感じなかった。それより作画が丁寧じゃん。爽やかな美術とキャラデザでいいと思う。登場人物は全員爽やかなんだけど、時々、頭を整髪料で尖らせたヤンキー臭い兄ちゃんが登場すると「あ、ヤスダスズヒトのキャラデザ」と思う。

王立宇宙軍BDを購入しました。
オネアミスの翼』のBDを買った。いや金のある内に買ったほうがいいかなって。基本的に97年に音源をリマスタしたものをBDに落としたもの。だから映像自体はそんなに変わらない。ただ、宇宙船が離脱する瞬間に冷却用の氷がばらばら落ちるシーンは綺麗になってた。音を前面にしてあるので「え! そこでそんな大きな音だすの」みたいな感触はあった。解説書で山賀監督がえらく庵野にこだわっている。庵野を買っている。「庵野君は色気のある爆発シーンが描けるやつだ」ってすごいラブラブっぷり。解説書に載っているカットも庵野が担当した爆発シーンが多い。別の世界の話なんだけど山賀監督が実際に「別の惑星の話なんです」って言うと感慨深い。ところで『オネアミスの翼』の夜空って月は昇ってたっけ?

構成上の問題としてリイクニって最初の歓楽街のシーンでチラシ配ってなくても、たまたまシロツグがチラシをどこかで目にしてリイクニの家に行くっていう展開でも全く問題ないと思う。ただそれだとお客さんの興味というか、ヒロインの出足が遅くなるから恐らくあそこで出したんだろうし(歓楽街で宗教のチラシ配っているという対比みたいのも欲しいのかもしれない)、歓楽街でチラシを配っているっていうのもリアルというか「もっともらしい」よね。ぼくは『オネアミス』の「もっともらしさ」みたいなのが凄く気に入ってて、会話とか、ディティールとか、そういうもののもっともらしさが好き。まあよく出来た作品ですわ。

それからOPとEDに登場する「あの惑星の歴史」的な映像の一部はインターネッツが発達した現在、例えばツイッターの歴史フォトbot的なものをフォローしておけば元ネタを目にすることがある。これも「もっともらしい」工夫で好き。





サントラも引っ張り出してきた。ライナーノーツを読むと坂本龍一が最初にタイトルを聴かされて「右翼だ!」って勘違いしたとか。特にいまする事がないからちょっとズレたエコ活動をしている訳ではなく、昔から教授はこうだったんだよ。音楽すごくいい。40分あっという間。当時はアニソンばかり効いていたから、初めて耳にした不協和音がすごく新鮮で何度も繰り返し聴いたのを思い出した。

学生の頃観てから、ビデオテープをダビングしてテープが擦り切れるくらい観たり、社会人になっても、折に触れてはCSで観直したり、地上波で観たりしている付き合いが長い映画です。ぼく的には『エヴァ』より絶対『オネアミス』のほうに影響受けてる。『ガンダム』は新作が登場するとそりゃ観ますけど、それは新作だからであって、同じアニメ作品を繰り返し観るというのは『オネアミス』しかないです。