誰か志熊理科を知らないか

「江戸の町人はまじめな話を眞顔でするのを野暮と恥じた。すべてを茶にした」山本夏彦

僕は友達が少ない」の平坂読は「涼宮ハルヒの憂鬱」の谷川流と思想を同じくするまっとうな作家だ。
二人は恋愛について嘘を吐かない。恋愛は物語の香辛料でもなければ読者を牽引するものでもない。
物語を登場人物もろとも駆逐するものである。この認識を物語に誠実に、しかも諧謔を武器に組み込む性質において僕は両者をまっとうと呼ぶ。

涼宮ハルヒはコミュニティにおける恋愛の在り方を書いている。
もし男女混合のコミュニティで、一人の女性が皆の憧れの眼差しをうける男性を独占すればどうなるかを物語に組み込む。
結果はみんなも知っている。神人が世界を破壊し、ヒューマノイドインターフェイスが反乱を起こす。コミュニティは恋愛に駆逐される。

それを立証するのが「はがない」の世界においては小鳩とマリアだ。
二人が小鷹を巡って露骨に軋轢を引き起こす様子をみれば一目了然だ。ただし、二人は無邪気な子供だ。
雑多な人種が出入りする隣人部内で修道女見習いのマリアは教義よりも食欲という本能を優先する。「うんこ!」を連呼する。
ことの重大性が理解できていない。配慮がない。
小鳩に至っては「ゲルニカちゃん」をアニソン感覚で歌う。無邪気さ故の配慮のなさだ。
子供の所以だ。二人の小鷹争奪戦には子供の争いという免罪符がつく。誰も気にしない。

星奈と夜空になると様相が変わる。二人は大人ではないが子供でもない。程ほどの健全な判断能力も有する。
彼女たちは、辛酸を舐めてきた人間関係から間接的にコミュニティのトップに立つ男を独占するとどうなるかを知っているはずだ。
星奈は小鷹と二人だけでプールに行った事実を隠す。夜空を出し抜いた事実が周知となれば関係が崩れる。
夜空も小鷹との幼少期の思い出を隠匿する。星奈よりも優位な位置に立っていることを知られては関係が持たない。

同時に二人は大人ではない。友達を沢山作るという既成概念に疑問を呈しつつも、結局は友達作りに終始しないといけない。
既成概念と闘う意思と力が臨界点にまで到達していない。友達と山に登っておにぎりを食べるという夢想におぼれている。
二人にとって隣人部は大事な場所だ。人間関係をシュミレートする練習所としてなくてはならない。
こうして安穏な部活生活が維持されるが、編集者の入れ知恵か、平坂になにかあったのか、悲恋のヒロインが導入される。
志熊理科だ。

  • 理科は告白ができない

志熊理科は大人だ。自分を評して「理科は変態です」「非生産な妄想で頭が腐ってます」と断言する。小鷹に「エロければなんだっていいんだと思います」と報告するように、理科は常に自覚的であり、己の内面に敏感だ。
同人誌が欲しくても人混みが苦手と分かればコミケには直接行かず、知り合いに買ってきてもらう。
自分の負の部分を認め、その上で障害をどう乗り越えていけばいいかを知っている。
人付き合いが苦手と分かれば理科室を独占する権利を獲得し、そのなかで実験を行う。

彼女を自閉的、後ろ向きと攻めるのは理不尽だ。
名作とされる宮崎駿の諸作品、細田守の諸作品でさえ「制作者の郷愁の念を満たすと同時に観客の癒しも行う」という傲慢かつ、自閉的で後ろ向きな作品だからだ。
そんなことはない、これらは純粋に名作だ、と主張するあなたは幸せだ。
あなたの心には郷愁を覚える故郷がある。帰るべき場所がある。だが理科にはない。
理科に帰る故郷があるのなら、そこでずっと研究開発に勤しんでいるはずだ。理科室登校なんて面倒くさいものをするものか。

理科は大人の世界とコミットしている。「企業」と呼ばれる存在が彼女をバックアップしている事実からも明らかだ。
理科は隣人部に話題を提供する為に関係のある企業が開発しているゲームハードをみんなに分け与える。裏はない。純粋に楽しんでほしいからだ。
また理科は情報にも詳しく、ゲームに疎い星奈に優しくアドバイスを施す。
インターネットを利用しているのだろうが、同じネットを扱うのでも同じコミュニティ内ですら、周囲と衝突する星奈と夜空に較べ情報を入手できる理科は二人よりコミュニケートに優れている。たとえROMであろうとも不必要な波風を立てない最低限のマナーは心得ている。

こんな理科がなぜ隣人部に入部したのか。理由は明白だ。「理科は、哺乳類に興味を持ったのは生まれてはじめてです」と告白している。
哺乳類というのは小鷹であるという事実は覆せない。
理科は小鷹の為だけに隣人部に入部した。
既成概念を突きぬけ、理科室登校を続ける彼女はその為だけに、安寧を放棄し、コミュニティに参加した。

理科は参加したコミュニティの関係を崩せない。星奈と夜空にとってこの場所が心のよりどころであるという実態を把握している。悪態を吐きながらも離れようとしない二人をみればおのずとわかる。
さらに二人が執拗に小鷹にアピールしていることも傍から観察して知っている。
ニッチな同人誌を好み知能派である理科は虚構が現実より優れていればそれを尊ぶ性質を有する。区別しない。
そこが理科が大人である要因だ。理科は人間関係を区別しない。隣人部が子供の夢想が生んだ虚構であろうとそれが現実である限り維持に努める。小鷹にも然り。リア充でありながら非リアの苦悩を漏らす小鷹を責めない。
虚構の部分で成り立っている隣人部を現実とする。
理科は隣人部に入部した理由が小鷹への恋慕であるにも拘わらず、小鷹に告白できない。
現実を愛する理科は現状の現実を優先する。

  • 理科は友達が少ないままでいい。

そんな彼女がフラストレーションを発散する手段が諧謔だ。己のキャラクター性を熟知している彼女は下ネタに告白を混入する。遠まわしに小鷹にアピールする。
鈍い小鷹が気付くとは聡明な彼女は微塵も期待していない。
だからこそ、繰り返す。その都度、落ち込む。恋の罪だ。
だがここでコミュニケーション能力を発揮し、小鷹を独占すれば隣人部は駆逐される。
理科にはそれが出来ない。だから大量の情報を吐きだしつつ告白する。
夏目漱石の「猫」や内田百聞のエッセイがそうであるように、饒舌は韜晦と諧謔を生む。理科はそれを心得ている。だから、理科の想いは一生小鷹には届かないだろう。

志熊理科とは悲恋を宿命づけられたキャラクターだ。平坂がそう仕組んだ以上読者には手がない。
彼女には友達が少ないままでもいい。恋人がいなくてもいい。
せめて、心の平安が得られる場所を手に入れて欲しい。
そこで安らかに好きな研究を続けられればいいのに、と僕は切に願う。