ヴァルキリードライヴプロジェクト

ヴァルキリードライヴコラボカフェ
神戸アニメストリートSIDE28のヴァルキリードライヴコラボカフェに行った。十二月三日の木曜日。つまりコラボ開始の当日に。
仕事の都合がついたからたまたまなのだがついている。
というか、ぼくは全く知らなかったのだが、この時期は神戸アニストのシンボルマークである目ん玉が村上隆氏に盗作疑惑をかけられていた真っ最中だったらしい。
余計なひとを呼び込むとややこしいのでその辺の意見については割愛する。が立場としては神戸アニストに与する。

結構飲んで食って(飲むがメイン。食うのはきつい)面白かったですね。
開催日当日の昼頃に行ったんで客足はどうかなと思っていたんですけど、見事にぼくとおたくの兄ちゃんしかいなかった。
しかもこのおたくの兄ちゃんは店員とも妙に親しく、帰った後にツイッター検索するとこの店の常連らしい。
顔は覚えていないが、妙に印象に残る男であった。

ちなみに神戸アニメストリートSIDE28のヴァルキリードライヴコラボカフェはこんな感じ。

外装!等身大パネル


店内内装! 大型プロジェクターでVDMの映像がエンドレスで流れており、壁には設定資料集がパネルしてある。

テーブル席には各キャラをプリントしたシールが貼ってある。尊敬している女、シャルロット・シャルゼン様の席へ。
頼んだのは敬愛して止まない女、時雨霞のジュース!

ヴァルキリードライヴセイレーン
をはじめた。こつこつレベル上げしております。

ヴァルキリードライヴ
アニメ最終回とか本当マジ無理だから。嘘でもそういう冗談はやめてほしい。耐えられない。

うつろな日曜
『Bobby Gillespie Presents Sunday Mornin' Comin' Down』を買った。プライマル・スクリームのフロントマン、ボビー・ギレスピーが影響を受けた曲を自らセレクト。60年代、70年代をメインに据えたロックのコンピレーションアルバム。
美しい曲ばかりなのは当然だけど、なんか尖ってるなあ……特に当時の音楽業界がそういう曲ばっかりだった訳じゃなくて、むしろ尖っているぶん、こういうのは日本においては売れ行きの面からスルーされてきたはず。そういうサイケデリック革命に影響を受けた、当時尖ってたひとのものばかり集めたんだろうけど。生々しい曲が多い。
本当にとがっているんですわ。もし、イギリスにサイケデリック革命というものが存在していて、本気で音楽で世界を変えられると信じていた連中が居たとしたら、その尖り具合をうまく取り入れてかつ、聴かせるアルバムに仕上げた『ストーン・ローゼズ』の1stの登場はさぞかしショックだっただろうなという。それくらい当時の空気がもやもやしているアルバムです。
聴いてテンションが上がるとか、作業の進捗が進むとか、そういうのではなくて、むしろ逆にダウナーな気分になる。しかしこれはお勧めです。
みうらじゅんだったでしょうか。「ロックは恋人と車の中で聴くものではない」と言ったのは。
そういう爺臭いアルバムであります。
しかし単なる回顧趣味の代物ではなく、ロックやりてー! でもそもそもロックってなに? 何を指してロックっていうの? というどうでもいい疑問に頭と下半身をもんもんとさせながら地方の居酒屋でバイトをしつつバンド活動をしている絶滅危惧種のようなヤングメンは聴いたほうがいいと思いますよ。

自分の音楽を追いかけてパっとしない活動を続けていた60、70年代のコアなバンド連中は理想を夢見て、何回も頓挫した挙句、このような美しい曲を作り、そして消えていったのです。
このアルバムは、かつて各地に散らばっていた宝石をボビー・ギレスピーというロックを夢見たジャンキーの青年が拾い集めて棚に仕舞いこんでいたものを大人になったいま、再び集め、一枚のCDにプレスした作品です。いやー、ボビーのロックへの愛はただものではないなあ。

出来れば日本語盤の『ボビー・ギレスピーが好きな曲を選んだら、うつろな日曜の朝みたいになっちまった…』をお勧めします。内容は変わらない。
ただし、日本語のライナーノーツに曲一曲一曲にボビー・ギレスピーが解説とそのバンドの当時の状況、併せて、プライマル・スクリームがどのような状態の時にどの曲を聴いていたかの日本語訳解説があります。

鳥人化計画
『バードマン』理想的な映画というよりはどちらかというと「俺が観たかった映画」のジャンルに入るのではないかと思う。
語りどころはまあ、色々。しゃれて無駄のない台詞とか。音楽とか。恐らくCGで編集された長回しとか。
ああいうラストにならざる得なかったのは劇中劇で上映される演劇、カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』の脚本の改変具合からも明らかで、ストーリーももう、どんどんそっちの方に行っちゃうから開始三十分くらいで「ラストはこうだな」って分かっちゃうんだけど、観てしまわざるを得ない。傑作ですね。

ダレホ映画
マチェーテ・キルズ』前作『マチェーテ』でなんとも形容しようがない、暴力以外の熱気、「何か」を感じとってしまって以来、ぼくはこの作品が好きなんですが、その続編。馬鹿度アップ。殺戮度アップ。往時アメリカのB級冒険活劇映画の再生産なんですが。予算がどのくらいか知りませんけど、ロバート・ロドリゲスってギャラ以上の仕事を情熱でもってやっちゃう人ですよね。
タランティーノもそうだと思うんですよ。ぼくは実はタランティーノは別にハリウッドに認められるくらいすごい仕事をしているとは思っていないんですけど、タランティーノは毎回、明らかにギャラ以上の仕事を情熱だけでやってのけていて、その熱気量がドえらいんだと感じています。転機になった『パルプフィクション』だって当時落ち目だったトラボルタを引っ張ってきて、わざわざダンスさせるんですから、見上げたもんですよ。
そういう情熱が評価と作品とうまく繋がっている監督だと思います。
ロドリゲスも同じく。でもロドリゲスはメキシコでヒスパニックのひとで、この部分は絶対に譲らない。のでタランティーノみたいにハリウッドに特等席を貰える事はないと思います。
いってみればロドリゲスは映画への情熱に対してハリウッドから拒否されている監督です。ですがハリウッドが拒否すると言う事はロドリゲスの制作方法は間違っておらず、ちゃんと理解されているという事でしょう。
お前の映画は面白いし、客も入るから支援するけど、第三世界でヒスパニック系の俳優達をハリウッドブロックバスター映画ばりに活躍させるお前にアメリカ合衆国のシンボルの一つであるハリウッドは特等席を用意してやらないぞ、という。

二十一紀の『ブレードランナー
『わたしを離さないで』なんとも上品と言うかソツがない映画に仕上がっていると思います。テーマは毎回なんらかの映画で繰り返されているもの。
ただし今迄は『人間とそうではないがそっくりな存在は同じか?』という世界観に沿っているんですが、第二次世界大戦から一周し、再び『強者が生き残る為に弱者が切り離される世界』を時代が迎えているいま、そのような作品に仕上がっています。

物事には法則があって、その法則通りに生きていれば成功する。失敗するのには原因がある。そういった因果律を信じて生きているか。世界はそういう法則に乗っ取って動いては居ない、因果律など成立しないと信じて生きているか。とかそういう差が個人の思考にはあると思うんです。
『わたしを離さないで』は因果律を信じていない世界です。世界は偶然で動いている部分があるので運が悪ければ、最初から強者(因果律を信じて居られると言う事はその因果律が揺るがない世界に住んでいられると言う事です。特権階級と思って間違いないでしょう。あるいは因果律を信じていなくても自分を鈍化させることで自分の世界を脅かす存在に蓋をしている可能性があります。設計図通りにプラモデルを作れば箱に描いているようなプラモデルが必ず出来上がる、そういう約束事が人生の大前提と信じているひとです)の為に死ぬ環境下に生まれる事もある。でもなんとかならないだろうか。生まれた瞬間に自分より上位の存在の為に死ぬことが確定している人間が抵抗する。そういう映画だと思うんです。

二十一世紀の『ミュンヘン
アメリカンスナイパー』空爆を撮った映画。終盤近く、アメリカ軍の戦闘ヘリが建物にロケットランチャーをぶち込みます。その後に砂嵐が襲ってきて、砂嵐のなかを兵士が走って行くんですが、手振れがひどくて視点は兵士視点。表面だけなぞると冒頭にあった911の再現ともとれます。911は確かにショッキングでしたが、イラクでは日常的な風景なんだと示唆しているように思えます。はからずもアメリカはイラクに攻め込む事によって911を何度も再現してしまう羽目に陥る。
そしてそれを体験するのは兵士である。そりゃ兵士は病みますわ。九割くらいイラクの戦闘シーンなんですが、銃撃音や戦車や車のエンジン音が増幅されているために腹と頭にずっしり来ます。愉快な映画ではない。
内容からするとポール・ハギスの『告発のとき』を連想するんでしょうが、ぼくが観て連想したのはスピルバーグの『ミュンヘン』でした。

大監督がコメディタッチで青春映画を撮ったらこうなる
青春デンデケデケデケ』香川のド田舎でロックをやろう、というそれだけのお話。ただし大林監督なのでその辺の手腕は見事。時々、すごく前衛的な映像が入るんですよ。コアな。
それが嫌味にならずに物語をテンポよくロマンティックに見せているのでこの辺は鍛え方が違うんでしょう。
92年の日本の映画界はまだ元気だったんだなって感じですかね。笑えるし、情緒があるし、愛と死が背中合わせにあるし、観て損はないのでは。
ぼくは面白かったです。

漫画版から入りました
花とアリス殺人事件』
劇場アニメであるからには動かさねばならぬ、という強迫観念に憑りつかれたのか、バレエのシーンや走っているシーンが意味もなく強調されている映画。会話はリリカルでユーモア。リアクションも同様です。褒めてるんだか貶してるんだかよく分かりませんが、ぼくにとってはそういうフラットな作品です。
道満晴明版のコミックがあるんですが、アニメ版と相互に補完しあっています。
道満版のコミックは謎の少女陸奥の周辺を補完。アニメ版は主人公周辺を補完。
百合好きは観ていいでしょう。

マジンガーZとかルパン三世のフィギィア好きなんだ。オタクだろ? 
片腕マシンガール』ひどい! すごい面白いんだけど。面白さを語るのが野暮ですよ、というサブカル的なギャグを仕込んで先制攻撃してくる卑怯さ、下品さというか。下品さの後ろ暗い部分をくすぐってそこを楽しんでもらうんだけど、逆に観客の口を封じるというか。迂闊に語ると鼻持ちならないやつになりますよ、という。スプラッターは全然問題じゃなくて、その辺の根性が下品ではあります。その凡庸さを自覚している分、吹っ切れているので面白いんですけど。辻褄のあわない部分を紋切り型の映像と音楽、台詞で押しきるのはいいと思います。
要するに東宝スコープのパロディなんですけど、現代においては東宝スコープ映画は紋切り型のギャグになるって事ですよね。
オタク向けじゃないですよね。サブカル向けです。片腕がマシンガンの少女なんていかにもじゃないですか。
冒頭の十分くらいで行われる「この映画の楽しみ方」が全てを物語っていると思います。そういう横溢している「お約束」を編集でまとめるのが上手い作品です。ですのでテンポがすごくいい。90分できちっとまとめてあります。

ガンカタではない
リベリオン ワルシャワ大攻防戦』ロマンティックな音楽が流れたら必ず『マトリックス』の戦闘シーンみたいなスローモーションで超現実的な謎描写が入る映画。まあ、それは置いておいて普通にいい戦争映画。脚本がうまい。海外で賞でもとった原作小説があるのかなと思うくらい。
ヒロインが街を歩いていたら突然爆撃があって血と肉の雨が降って来るとか、修道女におっさんが「神様は何してんだよ」って罵声飛ばすとか、そういう「安定している我々の世界は不安定の上に成り立っている」描写に優れている映画だと思います。『わたしを離さないで』に戻りますが、あの世界で因果律を信じている強者でも、戦争と言う偶然に襲われれば不安定の世界を直視せざるを得ない。むしろ不安定の世界で生きていく為には「不安定? それがどうかしたのか? 厳しい世界を生き残るのに他人から搾取して何が悪い?」という開き直りが必要だという事でしょう。地味にお勧め。

ゴジラが来るぞ
『イントゥ・ザ・ストーム』終盤あたり、カメラが空撮になり、ぐっと引いて発生したド級の竜巻がどんどん大地を凌辱しながら前進していくシーンがあるんですが、これって怪獣映画の撮り方じゃね? とか思ってしまった。パニック映画とはいえ、モンスター映画の要素が強いように感じる。
人間ドラマというのは本番が始まるとパニックの為のギミックでしかない。主人公の親父が登場人物のなかでも飛び抜けて頭がいいんだけど、彼が手を回してもどんどん竜巻に台無しにされてしまう。打つ手打つ手が全部無効になる。それが絶望感を煽ります。ユーチューバ―が出てきて「竜巻を撮ったらヒーローだぜ!」ってはしゃいでいるんで、こいつらが道化の狂言回しみたいな感じなのかなと勝手に思っていたんですが、竜巻が本気だすと瞬殺されるので、バカは生きていちゃいけない世界観なんだなと思いました。