「お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ」はなんだったのか。

お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっアニメ感想

もえたん 1 [DVD]

もえたん 1 [DVD]

冬アニメのBD売り上げ暫定表が発表された時、僕のツイッターのアニメクラスタTLでは一部で嘆きの声があがった。

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (初回限定版)」54位
黒子のバスケ(7)」 53位
刀語 Blu-ray Disc Box(完全生産限定版)」51位
PSYCHO-PASS サイコパス(2)」50位

の間に挟まれるようにして
お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ(1)」が52位だったからだ。
要するに「中身がない」作品が「物語」を前提とした作品を追いぬき、追いつこうとしている実情に嘆きが入ったんだろう。

だがこの嘆きは正しい。一方でこの売り上げも正しい。アニメの評価は、アニメの価値と理想をよい方向に導くべしという正統なアニオタの評価も、気持ちいいアニメだったらなんでもいいというジャンキー並みのアニオタの評価も等しく正しい。

この不可解な2012年の冬アニメ「おにあい」とはなんだったのだろう。

  • 中身がない。

おにあい」には中身がない。試しに「おにあい」が放送スタートから最終回にかけて変化している箇所を挙げてみる。

登場人物が一人増えた。

これだけだ。後は一切、一話からなんの進展も発展も行われていない。

  • 早いアニメ。

このアニメの最大の特徴としてテンポのいいスピード感がある。
多分、去年のアニメの中でも最速のスピードを誇っていただろう。対抗できるアニメは「てーきゅう」しか存在しない。
その「てーきゅう」でさえ、倍速の編集がかかっている。
例を挙げると「おにあい」の一話冒頭、秋子が電車から聖リリアナ学園の学生寮に辿りつくシーン内で行われるカメラアングルの変更は冒頭の2分30秒だけで、おおよそ50回。単純計算で3秒に1度の割合でアングルの変更がなされている。
しかもこのシークエンスはジャンプカットがない。ずっと秋子の動きだけを追い掛けて50回以上カメラアングルが変更される。
登場人物の喋り方にも注目だ。ものすごいスピードで喋りまくって物語に必要な手続きを省略しまくっている。
このスピードによって描写は極端に薄っぺらくなり、本当に「中身がない」作品に仕上がっている。

おにあい」の監督は川口敬一郎。「メルへヴン」「ハヤテのごとく!」といったケレン味のある作品の監督を手掛けてきた。
だが、川口の才能が決定的に開花するのは2007年の「もえたんだろう。
英語学習本に萌え絵を組み合わせた原作本「もえたん」のアニメ化作品である「もえたん」は異常なハイテンションに満ちていた。
エロゲーっぽい変身シーンを経過して変身するヒロインは利巧というよりはどちらかというとアホの部類に入るだらしのない言動と外見、周囲を取り巻く人物やキャラクターも一癖も二癖もある連中ばかり、さらに劇中でいきなり英語講座が開始されるなどアニメの作法を最低限度だけ守ってあとはやり放題という羽目の外しっぷりを発揮する。
それは現在進行中(註:2013年1月25日現在)のアニメみなみけ ただいま」でも遺憾なく発揮されており、原作にはなかったシーンがいきなり挿入されたり、CM前のアイキャッチには若干意味不明の小芝居が入るなど、どこか視聴者を小馬鹿にしたような雰囲気さえある。

小馬鹿にした雰囲気は会話にもある。「もえたん」「ただいま」「まよチキ!」等、川口のアニメは咀嚼しやすいセリフを速射砲のように喋り倒すのも特徴だ。
それは前述したように「おにあい」の最大の特徴だ。頭にすっとはいってすっと出ていくセリフを大量に喋る。
大量に喋る故に、セリフにあまり重点を置いていない。最初から聞き流すのが目的だ。喋る分量に反比例して意味が薄くなっていく。

小馬鹿にしたムードは「おにあい」OP、EDでも顕著だ。OPからしエロゲー、ギャルゲーの小ネタが普通じゃないスピードで繰り広げられる。一回観ただけでは元ネタを全て把握しきれない。まともに観る気がない限り、大量の情報が頭にはいった途端に掻き消えてしまう。

小馬鹿にしたムードは本編でも剥き出しになっている。サブタイトルがラノベのタイトルのもじりになっているだけでなく(そのなかには川口自身が監督を手掛けたアニメ化作品もある)、アバンが話数を重ねるごとにどんどん延長されていく
OPが始まるのがアニメ開始からずっと後なのは朝飯前、そもそもアバンの出来事自体が本編とは全く関係のないエピソードだったりする。

この小馬鹿にした雰囲気はキャラにまで及んでいる。原作による部分も大きいのだけれど、基本的にヒロインキャラ達の内面は同じだ。
バリエーションの違う秋子が主人公のまわりに沢山いると思えばいい。
行動パターンも思考ルーチンも全くの一緒。若干キャラによって主人公に対するアプローチに変則があるだけだ。
基本は下ネタ、コント、独りよがりな行動。これだけだ。

さらに一人称の原作版ではそれなりに人格を与えられていた主人公も、アニメ版に至っては単なる「姫小路秋人」という記号に成り下がっている
ざっくりいうと「おにあい」とは「姫小路秋人」というブランドを巡ってヴァージョン違いの秋子が争奪戦を延々と繰り広げる、それだけのアニメだ。
アニメのテンプレ化を逆手に取ったこの姿勢は、現状の萌えアニメの解体を的確に行っている。
キャラの違いは記号レベルの差異でしかない。その癖にこのアニメは高度な作画技術によって魅力的なキャラ分けを行っている。
この小馬鹿にしていくという作業は終盤に向かうにつれて度合いが酷くなっていく。
遂にはメインヒロインである筈の秋子でさえ、他のヒロインの魅力を引き立てるだけの噛ませ犬的存在に格下げされる。
それも秋子がそういう存在であると自分で勝手に露呈してしまうありさまだ。
秋子が自分の口で「このテのアニメはメインヒロイン以外のヒロインキャラにも絶大な人気があるんですよ。メインキャラを凌ぐくらいに」と解説している。

  • これMADじゃね?

大量の情報量故に意味もなく、クオリティだけが高い映像を延々と見せられる。ストーリーはありそうで実はない。キャラは外見以外は皆一緒。スピードが異常に早く、制作者はアニメを小馬鹿にすることで視聴者と作品で遊ぶ。
これはニコニコ動画で行われているMAD動画と一緒だ。
ニコ動ではひとつのアニメの音声に併せて全く異なる作品の編集映像を重ねあわせ、あたかも編集されたアニメ作品のキャラが別のアニメのキャラのセリフを喋っていると錯覚させる動画のカテゴリが存在する。
おにあい」はこのMAD動画の感覚に近いように思う。
編集されまくりのカット数の多い作画。内面はほぼ同一であり記号化されたキャラクター。大量に消費される情報から得られる恍惚感。

MAD動画には質の悪い中毒性が存在する。煙草とコーヒー、ジャンクフードにコーラといった組み合わせと一緒だ。
ストレスが溜まっている時程に効果を発揮し、酩酊感と痛快な消費感覚をもたらす。
小気味いい動画は眺めているだけで満足だ。癖になったらもう一度観たくなる。意味は最初から存在しない。

それでもおにあい」が贅沢なのは、これが既存のアニメを編集したMADではなく、24分間、クオリティの高いフルのオリジナル映像で展開されるという部分だ。スタッフは命を削りながら24分間のオリジナルMADを制作している。

  • コントもあるでよ。

おにあい」はスピードが速いだけではなく、コントに必須の溜めと時間の延長も持ち合わせている。
それが有名な秋子の「ぐぬぬ」であり、アナスタシアの無言の凝視であり、銀兵衛のもったいぶった説教だ。
このテンポのずれも絶妙なタイミングで仕掛けてくる。
川口はテンポのコントロールに長けている。「みなみけ ただいま」は原作のテンポのズレを絶妙に再現してファンからの支持もあついけれど、これは偶然じゃない。
川口は「ただいま」のインタビューに

「とにかく、原作の雰囲気を大事にすることを最優先で考えました。作品の中の空気をそのままアニメでも伝えたい、というのが、先ずありきで」

と「空気を再現する」と表明している。そして実際に行っている。川口はタイミングを意図的にコントロール出来る監督だ。
MAD動画はテンポが命だ。いくら面白い素材を使用してもテンポが悪ければつまらない作品になる。
おにあい」はすごいスピードで展開して物語に必要な展開を省略している。この「早さ」が絶妙なテンポで繰り広げられている。それゆえにレベルの高いMADと同じ感覚を僕たちに提出できる。

90年代から零年代に運動が激しくなったコピー&ペースト文化の産物だろう。
宮崎駿という「アニメとは現実に根拠を置かないもの」という思想家の元で過した庵野秀明が制作した作品の、映画や書籍、アニメからの「現実との全く根拠のない」コピーは、零年代の京都アニメーションに至って二次元からのコピーはもとより現実を編集したコピーも激化した。
シャフト等に代表される編集された二次、三次映像は、これらの流れの代表格だろう。
これらの作品の映像記号には一定以上の意味がない。編集された段階で元ネタとの関係が弱体化しているからだ。
そこでは映像は「表現技法を説明するもの」として機能する。
ニコ動MADに代表される、元ネタ作品を知らなくても十分に鑑賞可能な映像の面白さというのはそこに起因する。

アニメ「おにあい」は多分、精神的に疲弊している人間が観ればこのうえない御馳走にみえるだろう。僕がそうだった。
この作品に対する評価に恐らく中間はない。「ストーリーと意味が存在しないアニメ」「鑑賞していて気持ちいいアニメ」の両極端に分かれるだろう。
最終回12話の作画崩壊にはファンはがっかりしたけれど、当然だ。最後の最後で編集の質が落ちてしまったからだ。
BD版で完成されることを切に願う。

断言してもいい。このアニメがメディア大賞とかのアニメの賞を受賞することは絶対にない。
だが需要がある限り、このアニメはMAD動画のようにひっきりなしにリピートされる作品であることは間違いないだろう。