人気ボンクラマンガの頂点を極め尽くした『ToLOVEる ダークネス』

コミックToLOVEるToLOVEる ダークネス感想考察

To LOVEる -とらぶる- (1) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (1) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- ダークネス (1) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- ダークネス (1) (ジャンプコミックス)

「殺人魚フライングキラー」というボンクラ映画がある。監督はジェームス・キャメロン
冒頭から水中セックスを行おうとするカップルが本番寸前で殺人魚に襲われるこの映画は、本編でも米軍が極秘で開発した空飛ぶ魚が画面内を滑空し、巨乳美女がおっぱいを揺らしながら血まみれと化す。ラストはダイナマイト漁法による殺人魚への反撃が敢行される。
エロ、アクション、モンスターがテンコ盛りとかなり荒唐無稽だ。
しかしこの記念すべき監督第一作をキャメロンは自分の作品だと思っていない。後の「ターミネーター」「T2」もボンクラだが、志向している方向が明らかに違うからだ。それに他人による脚本も決定済みだったし、勝手に編集もされた。
だが、この日本には、しかも文化の最先端をいく漫画業界には自ら進んで「殺人魚フライングキラー」のようなエロ、アクション、モンスターなボンクラ漫画を描き続ける作家がいる。
作品タイトルはToLOVEる ダークネス」
原案、長谷見沙貴、作画、矢吹健太郎

ここでは「ToLOVEるダークネス」がいかにボンクラマンガであるかを列挙していく。だが悪態をついていると勘違いしないで欲しい。
ここで言う「ボンクラ」という単語は「魅力的な」という単語に置き換えてもいいからだ。

ちなみにこの記事の「ダークネス」「ToLOVEる」とはコミック版全18巻(「ToLOVEる」)と現在刊行分5巻まで(「ダークネス」)を指す。アニメ版ではない。

以下、長文が続くが「ダークネス」はその分量に見合う情報量を有しているからだ。

  • 前身というかこっちが本体「ToLOVEる

「ダークネス」の前身である「ToLOVEる」は週刊少年ジャンプ2006年21号にはじめて姿を現した矢吹健太郎にとっては前作「BLAKCAT」に続いてのジャンプ誌の連載だ。
当時のジャンプ誌面にはエロ枠が抜けていた。その影響も手伝って編集の連載会議を通過した「ToLOVEる」は連載を開始。
この連載は足掛け三年にも及び、関連書籍も次々と発売された。ジャンプのラブコメとしては破格のヒットとなる。
テレビアニメ化も二度行われ、全18巻の単行本も最終的には700万部の売り上げを誇った(2012年12月2日現在)。
宇宙人ララの発明の影響で、ちょっとエッチなドタバタが繰り広げられるという、ボンボン、コロコロ的な要素を孕みつつも、しかしおっぱいと乳首はしっかり描くという潔さは読者の好感を呼んだ。
だがこのコミックスは159話から四話続いたキャラ総出演の、一般に水着回と呼ばれるプールのシーンをもって最終回を迎える。連載回数、総計162話。
最終回サブタイトルは「大スキ」

色々な憶測が飛び交った。作画の矢吹氏の離婚問題。仕事量の多過。だがどれも憶測の域を出ない。読者の知らないところで編集者の権力闘争が発生したのかもしれないし、純粋に描けなくなっただけかも知れない。当時からジャンプは「ドラゴンボール」等の雑誌を牽引していた作品が連載を終了しており、低迷を続けていた。編集方針に変更があったのかもしれない。真相は未だ不明だ。
とにかく「ToLOVEる」は惜しまれつつも、しかし読者に「いつか復活するのでは」という甘い期待を残して消えていった。

  • 世紀のボンクラ人気マンガ「ダークネス」連載開始

ToLOVEる」連載終了2009年から1年後の2010年。「ToLOVEる」は「ダークネス」として連載を開始した。「再開」ではない。
事実上の「開始」である。「開始」とするのは「ToLOVEる」と「ダークネス」は明らかに別物だからだ。
僕が両者を別物にした理由は、様々な変更点や特徴を説明していくこの記事を読んでいけばおのずと明らかになると思う。

「ダークネス」が掲載されたのは「週刊ジャンプ」ではなく、月刊ジャンプ」の後継誌「ジャンプスクェア」だった。
主人公はララやリトではない。矢吹が「ToLOVEる」連載前に描いていた「BLACKCAT」に出演させ「ToLOVEる」にも登場していた、矢吹にとって思い入れのある孤高のヒロイン「ヤミ」をストーリーのメインに据えた。
「ダークネス」は名目上、設定共に前作のスピンオフとして開始する。

この時点で「ダークネス」は「ToLOVEる」と大きな相違点をみせはじめた。この相違点こそがさらなる人気を呼ぶ要因となる。

まず、リトやララ、春菜は二年生に進級している。一年の後輩としてモモ、ナナが挿入された。
この設定で「ダークネス」は「主人公は二年で、後輩は一年、先輩は三年。ぱっとしない悪友が存在し、同級生で憧れている女の子は才女」という90年代、零年代のエロゲー、ギャルゲーで育った世代の学園ものに対する概念に忠実に基づくボンクラ形式となった。
矢吹健太郎1980年生まれだ。矢吹の思春期時代はエロゲー、ギャルゲーの黄金時代だ。またこの頃のアニメはあかほりさとる作品の全盛期だった。あかほりはエロ描写や寸止め描写を得意とした。「ToLOVEる」には寸止めの描写が多い。
さらに主人公はモモに変更になった。表向きはヤミの過去に迫る心理劇を中心とすることとなっているが、実質上の主人公はモモである。これは当時一番人気があり、使いやすいキャラとして採用されたものだろうと推測される。
勿論、モモよりも唯や美柑といったキャラに人気があったのだが、モモには「他人」「しかしリトに近い」「あからさまにリトに好意を抱いている」「能動的」といった要素があり、なにより企画段階でメイン格だったヤミに一番近いキャラだ。
モモはララに負けない特殊能力も有している。奇天烈な発明品を扱っても齟齬は生じない。ララの妹だからだ。

さらに「ダークネス」では連載開始当時からモモ視点で「リトをハーレムの王にする」というボンクラな目標設定がなされた。
この「ハーレムの王」も90年代ギャルゲー、エロゲーの要素であり、これは現在まで続く。またラノベや他のコミックス、アニメでも頻繁に使用されるボンクラ設定でもある。
劇中の通常の視点はモモ視点であり、独白はモモによってなされる。
これにより、モモが興味を抱く女性キャラがそのままその回のヒロインとなる補助がなされた。つまり人気のあるキャラをいつでもメインヒロインとして交換使用することが可能になった。

  • ロー、ハイアングル、ジャンプカット、ぶち抜き、視点変更で誌面を美少女で埋め尽くせ!隙間もない程に!

キャラのリリカルさを強調する為にバストアップの多かった「ToLOVEる」から「ダークネス」ではエロを強調する為、エロシーンに限らず日常シーンでもローアングル、ハイアングルを頻繁に使うようになった。
エロを強調する為のロー、ハイアングルは青年コミックス、またはAVのセックスシーンのセオリーであるが、「ダークネス」は日常でも使用するようになった。胸を強調する為、または下半身の性器を読者の前に提示するのにはこの視点が一番適している。
パンチラや唇の艶っぽさを醸すのもこのアングルが最適だ。ストーリーそのものより「見せる」絵を矢吹は「ダークネス」においてより重視し始めた。
日常シーンでのハイ、ローアングルはラノベ迷い猫オーバーラン!」がテレビ化の際に矢吹が手がけた同タイトルのメディアミックスコミックスの折りに徐々にその片鱗を見せていたが、「ダークネス」で一気に開花した感がある。
「ダークネス」はアニメ「もっとToLOVEる」の放映中に連載が決定している。

さらにジャンプカットが多用された。
例えばドアの前に誰かが立っている。ドアを開けて枠をくぐり抜け、扉を閉めて次の部屋へ、というのが通常の表現方法だ。
ジャンプカットはドアの前に立っているシーンの次には、もうドアをくぐりぬけている。動作と動作の「間」を飛ばす手法だ。
この際、観客に次の部屋へ移動したと明示する為に、ドアの開閉音が響いたり、ドアが閉まる直前のシーンのみが残されている場合がある。
「ダークネス」ではこの手法を応用して「誰かがヤミを呼ぶ」「もう誰かがヤミに抱きついている」というようなシーンを多く作りだした。
この手法により、「間」のコマが消えたので誌面には常にキャラクターのみが登場することになった。
またぶち抜きも前作よりさらに多用され、コマ二段程度のぶち抜きは当たり前になった。ぶち抜きとはコマとコマの間をぶち抜いてキャラが表示される手法だ。通常のマンガではキャラ初登場のシーンに使用される。見栄えと読者にインパクトを与えるのが目的だ。
これは「ToLOVEる」でも常套手段とされたが「ダークネス」では酷い場合は1Pごとに使用される。またエロシーンでもぶち抜きは多用された。

矢吹はキャラを描写するにあたって
「身体がちゃんと出ていないと締まらない。普通なら顔だけのシーンでも無理やり身体をいれないといけないような気がする」
と応えている。また
「セリフをなるべく減らしてどれだけ絵を大きくとれるか調整している」とも応えている。

この「ジャンプカット」と「ロー、ハイアングル」で美少女を常に見せ続け、しかもそれはほぼ絶えまなく「ぶち抜き」なので「ダークネス」のページにはほとんどと言っていいくらいに美少女の姿態が埋め尽くされるようになった。コマの隙間が少ないので、読んでいて息が苦しいくらいだ。
「ダークネス」にはリトが美少女のおっぱいやお尻、股間に顔を埋めて酸欠状態に陥るシーンが多く見受けられるが、読者もそれを追体験する形となる。「ダークネス」は非常にボンクラな構図に溢れたコミックスとなった。
このエロシーンは前作「ToLOVEる」ではボンボン、コロコロ的な要素で発展するパターンが多かったが、「ダークネス」でもそれだけは継続された
理由は後述する。

さらに視点変更が「ダークネス」では大幅に取り入れられた。「ダークネス」ではなんの予告も無く視点の対象になっている女の子の心理状態、独白、心のなかの喘ぎ声を読者に字面で提示する。主体になっているキャラが誰だろうと関係なく。
「ダークネス」は「ToLOVEる」からの変更点として心理中心に作られたので内面描写が強くなった。しかし通常のコミックスなら心理描写は一人称視点を尊重する。でないと読者は誰に感情移入すればいいのか分からなくなるからだ。
これはエロコミだろうが、ラブコメだろうが当然なされる処置だ。セオリーといってもいい。だがしかし、エロコミでは、突然主人公の男性視点から女性視点になる場合がある。当然チョンボなのだが、そこがエロ漫画のエロを強調する手法である。
またメジャー誌のラブコメや格闘漫画、スポーツ漫画といった一般ジャンルでも効果を出す為に突然視点変更になる場合もある。
咲-Saki-」や「天上天下」「みなみけ」といった三人称視点マンガならば最初からそういう構造になっている
しかし「ダークネス」の場合、構造は一人称視点でありながら視点固定をほぼ無視している。非常にボンクラ仕様だ。
ここまでルール違反を犯して許されるマンガのジャンルはひとつしかない。「同人誌」だ。特にエロ同人誌ではエロのみを強調する為、視点変更を絶えず繰り返す。作者が意図的にルール違反を犯し続けている。
「ダークネス」の異常な視点変更はエロコミではなく、どちらかというとエロ同人誌の手法に似ている。かなりのボンクラだ。

  • 何故、矢吹健太郎はあんなにもエロでボンクラな「ダークネス」が描けるのか。なぜ乳首まで描くのか。

矢吹健太郎はデビュー前、桂正和の諸作品、とくに「電影少女」「I"s〈アイズ〉」に強い影響を受けた。
共に美少女を意識した繊細な絵柄だ。感銘を受けた矢吹は美少女を描く際、今現在においても桂のマンガを参考にしている。
電影少女」は刊行時、性描写を巡って単行本の回収騒動まで発生している。当時の桂は曖昧な性表現を嫌っていた。
矢吹はそれにシンパシーを感じた。現在自分の行っている描写は桂の影響下にあり、
「桂先生の作品を読んでいなければ「ToLOVEる」も絶対に生まれてこなかった」と発言している。
ToLOVEる」及び「ダークネス」でのおっぱい、乳首、ギリギリの性的描写は桂の影響だ。

また矢吹はアシスタント時代を小畑健の元で過した。小畑は「サイボーグじいちゃんG」「ヒカルの碁」「デスノート」「バクマン。」を手がけている。どれも美少女の描写が秀逸だ。事実、小畑は美少女、美少年の描写においては日本国内のマンガファンにおいて絶大な支持を得ている。
矢吹は小畑の作品をかなり読みこんでいた。
矢吹が描く繊細な美少女は輪郭が強く強調され、それは髪の毛の輪郭線にまで及んでいる。目力が非常に強い。これは小畑の絵柄と一致する。矢吹は小畑の影響も受けている。
また桂、小畑ともに服の皺、身体の質感まで細かく描写するが、これも矢吹のタッチに取り入れられている。
服の皺や肌の質感を細かく描くとエロテックに見えるのはコミックの典型的な手法だ。

矢吹は「SQならではの表現方法を心がけている」と言っている。SQは月間ジャンプの後人だ。

SQで連載する際にも、
週刊ジャンプを読んできたひとにはこれくらいエロくしておかないと」
とも発言している。

さらに主にヤミを巡ってのバトルはお色気シーンを演出する為だとも言っている。あらゆるシュチュエーションを「ToLOVEる」時代に済ませてしまった「ダークネス」にはこの手法しか残されていないからだ。
格闘系美少女ヤミを主要キャラに据えたのには、バトル展開の狙いもあったのだ。
しかしなぜこうまでしてボンボン、コロコロ的な手法にこだわるのだろう。

  • こんなボンクラマンガ「ダークネス」がなぜ東京都青少年健全育成審議会にひっかからなかったのか?

この項目においてのみ、純粋に「考察」とする。これまでの記事のように雑誌記事、コミックスのコメント、マンガ技法などからの現実に即した事実が根拠にはなっていない。この項目だけ小難しい話となるがこのサイトに来てるひとだったら慣れてるよね。

「第622回東京都青少年健全育成審議会 議事録」を参照すると電話による申請で、「性的な描写のある図書」に「ダークネス」が指摘された。女性の胸だけでなく下半身の裸があるというのが理由だ。
しかし議会は「指定基準に該当しない」とした。具体的な回答は申出者に回答され、一般には公開されていないので詳細は不明だが、以下の理由が考えられる。

フランスの思想家、ボードリヤールは「消費社会の神話と構造」において、消費社会ではモノは使用価値ではなく「なにを消費しているか」をあらわす「記号」とされるとした。
つまり消費者に対し、商品そのものの価値は意味がなく、「どのようなものを消費したか」によって消費の意味あいが違ってくる。
これを「ダークネス」に当て嵌めると東京都青少年健全育成審議会にひっかからなかった理由が見えてくる。
確かに「ダークネス」はエロシーンにはエロマンガ、AVの技術を多用し、誌面には常に美少女が溢れている。
一見すれば審議にひっかかるだろう。
だがこれらは具体的な性的行為ではない。上記したように「ダークネス」のエロシーンは「ToLOVEる」と変わっていない
コロコロ、ボンボン的なドタバタがエロシーンのメインである。
消費の過程、イメージにおいての観点からすれば「ダークネス」はエロい消費物として成立するだろう。「おっぱい」「乳首」「下半身」「喘ぎ声」といった記号が横溢しているので読者のイメージとしては、エロマンガを消費している気分に陥る。
人気のポイントはここだ。
だがパーツのひとつひとつをバラしてみれば、エロい消費物としての印象をあたえるだけで、挿入、勃起描写がない。
「ダークネス」の実際の内容は小学生の読み物となんら大差がない
「ダークネス」を「性的」とするならコロコロ、ボンボンも「性的」となる。それは少しおかしい。
以上が推測される東京都青少年健全育成審議会の通過の要因である。
つまりこれが前述した「ダークネス」が「ToLOVEる」のボンボン、コロコロ的な展開を変更しなかった理由だ。

アニメ版「ダークネス」では乳首と下半身にスカイフィッシュがかかって規制された。
この表現方法にファンは期待を裏切られた気分になった。有料のCSでも然りだ。これはエロを消費する気分になれる「ダークネス」にとっては記号としての「乳首」「下半身」が消えたのでかなり大きな失点を意味する

矢吹はコミックスを描く際、自分が桂正和の作品を読んだ時と同じようなドキドキ感を重視していると発言している。
このドキドキ感とは要するにエロい描写だ。矢吹が桂の作品を読んだのは思春期なので意識化にも影響しているのだろう。
特に桂の「I"s〈アイズ〉」に強く影響を受けたからにはエロ描写は必須である。

「ダークネス」はエロだけではなく、展開においてもボンクラだが、これは意図されたものではない。矢吹の性根がボンクラだからだ。
なにせ矢吹はボンクラ映画の頂点を極めているマイケル・ベイの「トランスフォーマー」に映像作品として好評価を下しているくらいだ。
トランスフォーマー」は執拗にロー、ハイアングルを駆使しており、視聴者の高揚感を煽っている。みせる映像に特化された作品だ。

キャメロンは「殺人魚フライングキラー」を自分のコントロールから外された作品であり、それが自分の作品と認めない要因だと語っている。
だが「ダークネス」はかなりの部分を制作者の意図に寄ってボンクラに設計された。
なによりも作画の矢吹自身がかなりのボンクラであり、原案の長谷見においては「バカな事を考えるのが自分の仕事」といいつつも「ダークネス」の時点で一部を矢吹にリード、助言される形になっている。
「ダークネス」ボンクラの秘密は、原作の長谷見もさることながら、矢吹自身がかなりのボンクラだからだ。
「ダークネス」は然るべき経緯を得てボンクラ作品になったといえる。
エロ、アクション、モンスターだ。

To LOVEる―とらぶる― ダークネス画集 Venus (愛蔵版コミックス)

To LOVEる―とらぶる― ダークネス画集 Venus (愛蔵版コミックス)

消費社会の神話と構造 普及版

消費社会の神話と構造 普及版