もうひとつの『ガールズ&パンツァー』『セーラー服と重戦車』

コミックアニメセーラー服と重戦車ガールズ&パンツァー感想

セーラー服と重戦車 1 (チャンピオンREDコミックス)

セーラー服と重戦車 1 (チャンピオンREDコミックス)

小林立の「咲」はちゃんと評価されていないと思う。漫画としても、麻雀漫画としても。
そもそも小野学のアニメ化がなかったら一般に浸透していたかと言うとすごくアヤしい。
これは僕の私見だけど以前ブログで述べたように、原作の「咲」は作品解体能力が非常に高い。
一見すると、奇天烈なキャラが集合しているだけの単純な能力バトルにも見える。
作者の小林立が作品解体能力を駆使して「萌え」と「異能力」も麻雀漫画に組み込んで敵味方区別せずに均等に振り分けた結果だ。
片岡優希、龍門渕透華、恐らくこの二人が解体能力をフル活用されている。奇天烈な風貌、おかしな語尾、異能力、上滑り気味の言動、「アカギ」なんかのように敵、味方と区別されていない平等なキャラ位置、要点だけ抽出したな闘牌シーン。存在自体が「咲」という作品のセルフパロディになっている。
「咲」はこの他にも邪気眼、巫女、巨乳、ロリ等が登場する。傍目にはもう「好き勝手放題やっている」だけに映るんじゃないか。
これを避けるためには、やはり解体能力が高い映画監督のザック・スナイダージョー・ダンテテリー・ギリアム作品なんかがそうであるように、読み手にもある一定のメディアに対する自覚みたいなものが前提として要求される。
「物語」を「物語」として楽しめる、そんな素養です。
それだけに「咲」は漫画、麻雀漫画やメディアに自覚的な人間には非常に評価が高い。
知識がなくてもメディアへの自覚さえあればい。
だけどそうじゃないと「ただのバカ騒ぎ」「悪ノリ」に見える可能性がある。

「ゲーム世代には受けそう」「詰め込み過ぎ」「暴走」「どこか中途半端」
原作「咲」のことを言ってる訳じゃなくて、これはザクスナ、ダンテ、ギリアム作品に対する否定的な評の抜粋です。

一連の監督たちは嘘をつくのがあまり上手くない。一般受けし難い。
善悪にカッチリ分かれて、ジャンルカテゴリも分かり易く、ストーリーラインもほどよく、作品自体もネットで論じやすい、そんなPOPさを持っていないというか、そういうデコレートをする気配りが足りない。
彼らは自分と作品に正直すぎる。
アニメや漫画、小説に夢中になっている観客をうまく騙して作品を神格化させ、大量に信者を作る。そういう嘘がつけない体質なんだろう。
そして大きなお世話かもしれんが「咲」の小林立も作品と自分に正直すぎる。嘘をつく器用さに欠けている。
「咲」連載前夜に出版されつつもマニア以外には顧みられなかった全一巻の「FATALiZER」がそれを如実に示している。
しかしそれが故に、作品は世界に唯一無二の魅力を放つのかもしれんが。

こういったジレンマが商業世界の厳しさかもしれない。

そんなことを考えていると水島努監督があんまり一般受けしにくい戦車モノであるガルパン」をヒットさせた。
作品自体のクオリティもさることながら、分かり易いPOPさを水島監督に付与されたこの作品はあっという間にアニメファン、ミリタリファンの話題を独占した。
小野学監督が「咲」アニメ版を大ヒットさせたみたいに。

一方、「ガルパン」大成功の陰で静かに連載を終了させた美少女戦車漫画がある。
タイトルはセーラー服と重戦車
作者は野上武志
野上はガルパンのキャラ原案協力を担当している。

セーラー服と重戦車」を読めばわかるけどこの作品は「ガルパン」でやっていることを先駆けて実践している。
ビジュアルにしても、設定にしても、キャラ、戦車戦にしても、なにより美少女と戦車というシュチュエーションを生かした「絆」というテーマにしても。
野上はすごいと思う。「セーラー服と重戦車」連載開始は「ガルパン」放映開始の五年前なのだから。

多分、戦車と美少女ものを突き詰めれば自然とこうなるんだろう。
しかしこのマンガ、「ガルパン」と違って分かり難いというか、これは一見すると「ただのバカ騒ぎ」「悪ノリ」に見える可能性がある。後、「ゲーム世代には受けそう」「詰め込み過ぎ」「暴走」「どこか中途半端」とか。
セーラー服と重戦車」は「咲」同様、非常に作品解体能力が高い一方で、作品と自分に正直だからだ。「咲」よりひどい可能性だってある。
野上武志なりに頑張っている痕跡は痛いほどによく分かる。でもどこか不器用だ。
水島努の「ガルパン」みたいにパッと見てピンとくるキャッチーさに欠けている。
ミリタリと美少女に対して、ドウにかしているくらいに嘘がない愛に満ち溢れすぎている。

テーマである「絆」においてはマニアックなだけにライトな「ガルパン」よりも色濃く描写されている。
市街戦、森林戦、簡易戦略図。これらは「ガルパン」が五話まででやった見所のシーンだけど、「セーラー服と重戦車」では先駆けてやっている。

 
 
 

ドイツチームのパイパーというキャラが要注意だ。金髪にツインテール、幼女、軍服マニア、ツンデレ、おまけにあられもないポーズをとる一方で、普段は戦車の維持費を捻出する為にボロアパートでジャージ姿の貧乏暮らし
ロリコン気質で夢見がち。グッズに金をかけて実生活を顧みず、サバゲーの時には迷彩服でウロウロするミリタリオタクへの批評的な存在っぽい。「ガルパン」には戦車オタクの秋山優花里が登場するけど、パイパーは先に登場したにもかかわらず、彼女への皮肉を体現しているみたいだ。
セーラー服と重戦車」では他の漫画のキャラだろうが、気に入れば喜々としてなんのアレンジも施さず、メインキャラとして取り込む。「ガルパン」は登場人物に実在の歴史的人物の名前をもじって取り入れたり、男性名をとったりしている。海外の男性名を取り入れても日本人には違和感がないという配慮かもしれない。
ガルパン」では少女達は戦車に快感を覚えて魅入られるけど、「セーラー服と重戦車」では露骨に喘ぎ、頬を上気させる。砲身に股間を擦りつけてオナニーをし、全裸で戦車に乗り込む。こんなのフェチズムで済ませている「ガルパン」だったら絶対にアウトだ。
ガルパン」では負けたチームは屈辱のあんこう踊りが名物と化しているけど、「セーラー服と重戦車」では負けた方にはあられもないポーズを要求するシーンが存在したりする。
お国柄がチームの色分けを務めている「ガルパンだけど「セーラー服と重戦車」ではイギリスチームは貴族階級と労働階級に分かれている。貧乏な日本チームはお涙頂戴で戦車の修繕費をまかなう。ロシアチームは戦線離脱し後退しようとする味方を背中から撃って、強制的に前進させる。これは旧ソビエト軍のボルガ河渡河がモチーフです。
ガルパン」の強豪校は大勢の生徒を抱えているけれど、試合に参加するのは一握り。全員参加すると試合として成立しないし、視聴者がついていけなくなる可能性を考慮すればこうなる。でも「セーラー服と重戦車」では一対百や五対百の戦車戦がある。
ヘルシング」や「ドリフターズ」ばりの瞳に狂気を湛えた平野耕太タッチで戦車を指揮していると思った次の瞬間には、「ラブやん」の田丸浩史マンガのギャグ顔で爆風に吹き飛ばされている。

セーラー服と重戦車」は解体能力でガルパン」が嘘で隠している「戦車と美少女という組み合わせへの願望」「ミリタリもの」「コミック」「アニメ」というメディアの良い面、悪い面、両方を見境なくコミカルに暴きたててしまう癖がある。
書いておきながらなんだけど、ここまで両者を比較すると、熱心な「ガルパン」ファンの方は気分を害するかもしれない。
それこそが「セーラー服と重戦車」が「ガルパン」の先駆者でありながら大ヒットしなかった理由だと僕は思うのですよ。


話がちょっと逸れます。
私事で恐縮だけれども、ついこの間、CSのアニマックスチャンネルで「劇場版マクロスF」の二本立てが放映されたので鑑賞しました。
壮絶なハッタリに溢れた作品で、二本共に二時間の殆どを華麗なランカとシェリルの歌とビジュアルで埋め尽くし、ストーリーも喜劇から悲劇、恋愛シーンから戦闘シーンへと激しく変化しまくり。
僕も文字にしようとするとよく分からなくなる。言葉や理屈で整理しきれない代わりに直感に訴えるエモーショナルな部分を狙っている作品だからだ。
止めは「サヨナラノツバサ」の終盤近く、マクロス・クォーターが落下中の隕石にサーフボードの要領で乗っかり、敵の本拠地まで乗り込む戦闘シーン。
細かい考証などほぼ無視状態。勢いだけなんだけど、そこんとこ夜露死苦。なんだこれ。

とにかくひどい嘘をヅケヅケとつく作品だ。とか考えていたらこんなまとめがあったのですよ。

togetter「軍事オタクが本当に欲しい「作品」とは」
   
発言者はEXCEL速水螺旋人など商業誌でガッツリとコミックやイラストを担当、単行本を出版している作家。
しかも彼らが描いているのはミリタリ本だ。マニア向けの。
多分、ガルパンのヒットを受けて古参として発言したかったんだろうなと。

嘘に満ちた「劇場版マクロスF」と比べてみると彼らの作品は正直だ。「F」みたいな図々しい嘘をつく感性に欠けている。というか嘘をつけない感性の持ち主だ。ハッタリをかますより、どちらかというと考証に、なにより自分に忠実に作品を作るように配慮する。
原作「咲」や「セーラー服と重戦車」一連の映画監督作品みたいに。

セーラー服と重戦車」は「ガルパン」のように派手に顧みられることなく、マニア仲間だけに惜しまれつつ連載を終了した。
もしも、僕が以前書いた記事の監督、例えば、新房、水島、小野のような解体能力を持ちつつも、嘘をつく能力も持ち合わせている監督たちが指揮をとってアニメ化に務めればヒットするかもしれない。「咲」同様、それだけのポテンシャルを秘めている作品だと思う。
その一方で、このままでいて欲しいというのもファンの心理としてはある。
野上先生が編集の指示を大幅に受けて、売りに走ると売れるだろうけど、多分、すごいジレンマが本人を襲うと思う。

テリー・ギリアム監督は「バロン」で失敗したあたりから粛々と職人作品に変更し「12モンキーズ」や「フィッシャー・キング」などを制作してヒットに導いた。だけど本性を抑えきれずに「ブラザーズ・グリム」を作り、興業的に大コケした。その前の「ラスベガスをやっつけろ」では脚本を却下。契約違反だとして脚本家協会から攻撃されている。キレたギリアムは脚本家協会の会員証を焼き捨てる動画をネット配信する騒ぎを起こした。
2002年の「ロスト・イン・ラマンチャ」はギリアムが「ドン・キホーテ」「アーサー王宮のヤンキー」をモチーフに映画を制作しようとしたが制作自体が失敗したので映画が完成せず、とりあえず失敗の過程を収めたドキュメンタリーというのは有名な話。厳しい。

だから野上先生には今のまま突っ走って欲しいところなのですよ。勝手なファンの願望だけど。
小林立みたいに、ついていくだけの可能性がある作家だと僕は信じている。

「咲」が面白かったひとはたぶん「セーラー服と重戦車」を「物語」として楽しめるはずです。買ってみて下さい
「咲」の時みたいに一巻か二巻読んだあたりつうこんのいちげきを喰らう筈です。てか僕がそうだ。
セーラー服と重戦車」は秋田書店で「チャンピオンREDコミックス」です。寸法は18 x 13 x 1.2 cmで、いわゆる500円サイズ本のコーナーにあります。「ガルパン」でやってることはここで全部やってます。
五年前に連載開始したにもかかわらず、です。
あと、エロいです。

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