サイバーパンクとしての『serial experiments lain』

serial experiments lain

serial experiments lain

lain』の監督、中村隆太郎氏が亡くなったことをついこの間知った。
先日、ツイッターでフォローして下さっている方が深夜に突然『lain』のことをpostしはじめたので、なにかテレビで特番でもやっているのだろうかと思っていたのだが、そうではなかった。恐らく彼(あるいは彼女)は中村監督死去の報を受けてpostしていたのだ。
僕は中村監督作品について明るくない。しかし『lain』は鮮烈に記憶に残っている。
安倍吉俊氏によって描かれたDVDジャケットの物憂げな少女と退廃的な背景。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった小中千昭氏のシナリオ。声優、清水香里のデビュー作。

lain』について書きたくなってしまったので書きます。
この文章に中村氏及び『lain』について過不足な言及が散見されたとしても、それは中村氏あるいは『lain』を貶める意図があって書かれたものではありません。
僕の文章能力の欠如によるものである。


当時僕は『lain』をサイバーパンクとして観ていたように思う。
90年代、零年代初頭、コンピュータやヴァーチャルを扱ったアニメといえば大概がサイバーパンクかそれらを模したものだった。
その影響もあるかもしれない。
ので、僕はここで当時の感想を引き継いで「どうサイバーパンクに観えていたのか」を書く。

サイバーパンクとは僕のなかでは二つに分類されている。

・「資本主義社会とネットワーク、テクノロジーによって変容した個人を描いたもの」
・「資本主義社会とネットワーク、テクノロジーによって変容した社会を描いたもの」

士朗正宗『攻殻機動隊』、W・ギブスン、B・スターリング、押井守版『攻殻機動隊』『イノセンス』は前者。
神山健治版『攻殻機動隊』は後者。

そして『lain』は前者だ。

なぜ、二つに分けるのか。ネット社会の時代性だ。
そもそもサイバーパンクとは「資本主義社会とテクノロジーによってもたらされる個人の変容」を描くものだった。
究極の資本主義社会としてのディストピア。個人はテクノロジーによって人体改造を施し、それによって思想もテクノロジーが付与された人体としての価値観へと変容していく。
いわば個人は入れ物でしかない。そこへ新たなハードやプログラム、メディアが外付け、あるいはインストールされていく。
政治臭は薄く、各人はメディアのプロフェッショナルとして描かれ、彼らは己の技術を向上させる、あるいはネットワーク内での謀略を実現させるためにネットに接続、自己改造を行っていた。国家集団は記号であり、その援用として、サイバーパンクの設定においては政府は巨大資本企業に取り込まれているか、あるいはネットワークそのものによって国家の枠組みが希薄になっていた。

ところがネットワークが現実世界に実際に普及してみるとそうではなかった。現実のネット世界は、サイバーパンクが予言する国家の希薄になった世界ではなく、逆に政治臭や国家における枠組みなどがきつくなった。B・スターリングが個人を描きながらも、社会をあえて避けなかったのは正解だったのかもしれない。
ネットワーク上では個人の思想も、より強調された。場合によってはネットワーク上での個人の意志が集団を凌駕するほどになった。
リアルタイムで国政が個人の手元に届き、その是非について頻繁に議論を闘わせるようになった。
情報量の多さ故に処理しきれなくなったひとは特定の集団をカテゴライズ、単純化して論じ、結果としてますます政治臭がきつくなっていった。
(さすがにサイバーパンク作品もこれらの描写は避けて通れなかったのか、ディティールとして描かれている場合もある。士朗『攻殻機動隊』では素子が「軍国主義者」となじられ背後から斧で襲いかかられるシーンがある。スターリングの『スキズマトリックス』では機械による延命処置をとるものを「機械主義者」と呼ぶ)

神山健治版『攻殻機動隊』はこのネットワーク普及の流れを汲みとったものだと思う。
テクノロジーとネット社会を利用し「社会を告発する」笑い男
テクノロジーとネット社会を逆手にとり「政治活動」を展開する個別の11人。
義体という一般テクノロジーとネット社会、及び政界そのものを巻き込み、現状の(つまり未来の)社会を改革しようと目論む傀儡廻

しかし、『lain』が発表された1998年においてネット社会では政治臭はあまりきつくなかった。
情報インフラが現在のように過度に普及していなかったからだ。まだ「変容した個人」を描くことが可能だったのだ。

lain』物語開始時点では玲音は純粋無垢な、といえば聞こえはいいが、玲音には思想も歴史もない。
彼女は物語開始時点では、からっぽな入れ物だからだ。
そこへ父親がハードを提供し、玲音はそれらを通じてネットから思想や情報を取り込み蓄積をしていく。
過程を観れば分かるが、彼女は徐々にハードと融合し、思想、情報をネットワークから得て自我を再形成していく。
つまり『lain』はネットワークによって変容する個人を描いている。
また、舞台となる街と時代は明確にはされていないが、近未来の中規模都市。
そこには資本主義が徐々に手をのばしつつある現代風の新興住宅街や歓楽街などが強調して描かれていた。
ガジェットとなる「ワイヤード」にしても当時のパソコン通信SNSの雰囲気をあらわしていた。
これが僕にとって『lain』がサイバーパンクに観えた最大の要因かもしれない。
初期、中期の玲音にとって現実はネットとの区別がない。玲音にとって妄想が現実であるように、ネットと自我の境目が存在しない。
これもインターネット時代を先取りし、メディアによって人格と思想、肉体そのものが変容する過程で現実と虚構の境界線が曖昧になっていくクローネンバーグの映画『ビデオドローム』や『スキャナーズ』などの影響を強く感じさせ、僕の「これはサイバーパンクだ」という思いを強くさせていった。
また各回のカウント方式も「第〇回」ではなく、「layer:00」という表示方式だった。
「layer」とは「層」「積み」「重ね」「塗り」を意味する。『lain』の場合は「層」が適切だろう。
第一回、二回と回を重ねてくということは第一層、第二層と層を降りていくこと、または登っていくこと、あるいは皮をはいでいくことだ。
層を一回一回クリアしていくごとに玲音は真実の姿へと近づいて行き、最終的には次の段階へとシフトする。
これもサイバーパンクの「変容した個人が新たな段階へと至る」カウントダウンのように僕には思えた。
ギブスンの『ニューロマンサー』にしろスターリングの『ネットの中の島々』にしても士朗『攻殻機動隊』『攻殻機動隊2』にしても地獄めぐりをした個人の意識が新たな段階へシフトするさまを描いている(『ニューロマンサー』は少し違うけれど)。
玲音の周囲の人間関係も新たな「layer」毎に別の姿を見せ始め、最終的には本来の姿へと浮上、あるいは溺れていく。
最終的には玲音は本来の姿を獲得する。
その際、玲音はありえないけれど、本来そうであるべき現実のイメージを、錯綜した感覚で眺める。
これもサイバーパンク諸作品のクライマックスと相似していて、僕にとって『lain』は益々「サイバーパンク」というイメージが強くなった。
さらに玲音は最終的に「普遍的概念」として覚醒するが、80年代のサイバーパンクとは80年代のポップカルチャー、つまり時代の概念を大幅に取り入れたカテゴリでもあった。

lain』には国家が徹頭徹尾存在しない。ひたすら個人と個人が相互に影響しあう関係、ネットワークの関係だけを描いている。
中盤の山場「kIDS」にしても国家規模の計画でありながら、玲音の存在と、老人のノスタルジーを語ることに終始している。

もし『lain』が零年代後半以降に現れていたらどういう作品になっていたのか、ちょっとクエスチョンマークが残る。
神山健治版『攻殻機動隊』がそうであるように、現在のネット世界は、政治や社会と切り離して語るのは難しい。
押井版『攻殻機動隊』『イノセンス』『アヴァロン』『アサルトガールズ』のように国家など無視して、ミリタリと個人、疑似空間のみを語ろうという意識が必要とされてくる(というか押井さんはマクロな国家や政治などを映像で示す事にあまり興味がなさそうに見える)。
果たして零年代後半に『lain』が登場していたら玲音は自己探求の旅を追求できただろうか。

1998年に出現したからこそ、「個人の変容」「サイバーパンク」の側面を語れたと思える『lain』。
ネット過渡期の現在世界(というかネット社会は常に過渡期なのだが)を中村隆太郎氏がもう一度物語ることがあれば、すこし違った世界になっていたかもしれない。
中村隆太郎氏は神山健治版『攻殻機動隊』で絵コンテと演出を担当している。
中村隆太郎氏は現在のネットを反映させた神山版『攻殻機動隊』にどんな視線を注ぎながら素子やバトー、公安9課を描いていたのだろうか。
それを確かめる術はもう失われたのだけれど。
中村氏が夢見たネットの世界をもう一度観たかったような気がしないでもないが、それが不可能となった現在、僕たちは神山版『攻殻機動隊』から中村氏の夢を見つけ出すしかない。

lain』が、時代が最後に語り得たサイバーパンクアニメなのだと仮定した場合。
lain』はアニメファンの間で単なる深夜美少女アニメという存在ではなく、セミ・クラッシックのような存在になり、発表から十数年経過した現在も脈々と語り継がれていることにも納得できる部分があるように思う。

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