漂流者は地獄を歌う

http://www.shonengahosha.jp/comics/index.php?c=202043-01


「世界が燃えるのをただ見て喜ぶ人間もいるんです」『ダークナイト』のアルフレッド・ペニーワース


平野耕太の「ドリフターズ」の萌芽は今にして思えば「ヘルシング」の時点で既にあった。

最初「ヘルシング」が僕たちの前に現れた時、それはオカルトという形をとっていた。
悠久の時を超えて存在する吸血鬼アーカード大英帝国王立国教騎士団という吸血鬼殲滅機関。
そしてイスカリオテというもうひとつの吸血鬼殲滅組織ヴァチカン。キリスト教の保守派と革新派というオカルトファンなら誰でも夢見た対立に、伝説の吸血鬼による吸血鬼退治説話を交えて描かれた「ヘルシング」は連載当初から絶大な支持を得た。

そこではアーカードアンデルセンも宗教とは関係なく純粋に優れた殺戮兵器であり、大英帝国王立国教騎士団イスカリオテも彼らを動かす為に全力を尽くす戦闘集団として機能した。
さらに追い打ちをかけるようにナチスの残党ミレニアム率いる怪物軍団という第三勢力が加わり、オカルトファンのみならずミリタリファンまでもが溜飲を下す結果となった。

ただミレニアムの指揮をとる少佐が他のどのキャラとも違っていた。
戦争が大好きで戦争を恒久的に続けるのを至上の目的とする少佐は、そのどうしようもない正しさにおいて読者の心を鷲掴みにした。
正しいことをひたすら望み、実行に移す少佐は他のどのキャラよりもズバ抜けていた。

それもその筈だ。少佐は昔から存在し、愛されてきた観念型のキャラだったからだ。

観念型。精神世界型とも呼ぶ。観念実現型と呼んでもいいかもしれない。
とにかく自分の理想とする世界を現実世界に再現するのを人生最大の目標とする。ありとあらゆる手段を弄し、他人の命はおろか、自分の命すら、自己実現の手段とする。

アニメなら「劇場版パトレイバー帆場暎一、柘植行人、映画だと「ゲーム」CRS社「セブン」ジョン・ドゥ、世界で一番有名なのは「ダークナイト」のジョーカー。小説では「コインロッカー・ベイビーズ」のキク、「魔界転生」の由比民部之介正雪あたりだろう。

とにかく彼らには自分の理想とする青写真を現実世界で再現する以外に興味はない。再現した後の世界の維持すらも眼中にはない。
さらにタチが悪いのはこの連中がどうしようもなく正しい点につきる。
彼らがあまりにも正し過ぎ、正しいだけの行動に奔走する姿に人は戸惑い、嫌悪を覚える。一方で正論過ぎる故に惹かれる。
「セブン」のジョン・ドゥとミルズ刑事のラストに、ファンがいつまでも議論を戦わせるのはどうしてなのか。
ダークナイト」のジョーカーの突飛も無い行動から目が離せないのはどうしてか。
彼らの完成していく圧倒的に正しい世界に、僕たちは魅惑されている。出来れば完成を見届けたい。
狂気をはらんではいない。彼らはどこまでも正気で、僕たちより冷静で理智的だ。
ただ、彼らの手段を選ばない、という常に一歩前を歩く姿に、一般倫理という足枷がついている僕たちがついていけないだけだ。
彼らは正しい。

かくてロンドンは戦場と化す。少佐が笑いながら死んでいったのは彼が勝利したからだ。ロンドンを燃やした時点で彼は目的の大半を達成したからだ。故に「ヘルシング」の幕が閉じる際に映し出すのは朝焼けのなか、燃えているロンドンだ。

こうして「ヘルシング」は終了し、平野耕太も次の構想を練りはじめた。
そして誕生したのが「ドリフターズ」だ。
歴史上人物の夢のタッグマッチ、という点では「ヘルシング」は山田風太郎の「魔界転生」TYPE−MOONの「Fate」と同じくする。
ただし「ドリフターズ」はこれらとは一線を画していた部分がある。

登場人物ほぼ全てが悪名高き少佐と同じ、観念実現型のキャラなのだ。

(一応)読者側のキャラとして登場する島津豊久織田信長那須資隆与一からして「国を獲る」のが最終目的であり、目的の為ならなんでも利用する。戦の方式に関しては若干の意見の相違もみられるが、彼らは意見の相違を殴り合うという即物的かつ、もっとも正統な形で擦り合わせる。
ジョーカーが、ジョン・ドゥが身体を張ってバットマンやミルズ刑事の思考を根本から書き換えようとしたように。

異次元のエルフたちは彼らに従う。そうするしかない状況だからじゃない。
彼ら「ドリフターズ」が圧倒的に正しいからだ。完全には理解できず、時にはやり過ぎと思える「ドリフターズ」の後を追いかけるのは倫理感がどうであれ、事態が自分たちの望んでいた方向に傾きつつあることから、正論とだけは分かるからだ。

この物語の裏で糸を引いている「紫」と「EASY」も「ドリフターズ」とその敵対勢力「エンズ」を闘争の駒としか考えていない。
勝負が不利になれば「ドリフターズ」と「エンズ」の意思など無視して新しい駒を投入する。
少佐が自軍の兵士を駒としか考えていなかったように。
そして「紫」と「EASY」も正しい。異世界に送り込まれた「ドリフターズ」「エンズ」は現世で果たせなかった目的を成就する機会を与えられた。願いが叶えられる舞台が目の前に広がっている。正しい「ドリフターズ」は迷わず目的の成就に向けて動き出す。
このコミックにストーリーはほぼ存在しない。僕たちはただひたすら「ドリフターズ」が願いに近づいて行く様を眺めるだけだ。
ジョーカーがゴッサムシティを改変するのを眺めていた時のように。柘植行人が東京を戦場に塗り替えていくのを傍観していたように。そしてそれはそれだけで限りなく楽しい行為だ。
それが観念実現型キャラが登場する物語の特徴でもある。

セリフが熱いから熱狂するのではない。科白が限りなく正しいから熱狂する。
歴史の有名人が登場するから魅力的なのではない。最初からどうしようもない魅力を放つキャラばかりが選ばれている。
戦闘シーンに夢中になるのは、時代を超えた兵器の衝突に興奮しているのではない。時代を超えた戦術の衝突が、殺し合いという問答無用の議論として繰り広げられる風景に興奮しているのだ。

ドリフターズ」の背景は絶えず燃えている。「ヘルシング」の炎上するロンドンを異世界で再現しているからだ。
ドリフターズ」は「ヘルシング」の一番おいしい部分だけを全編に渡って繰り広げている作品だ。

だから「ドリフターズ」に最終回が訪れた時、その景色はやはり燃えているだろう。