闘病生活継続中
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三話まで観てインパクトとして残ったのは「異常に描きこまれた日常描写」と「日常描写と六花の妄想を映像的に差別しない」この二点だった。
僕は京アニの作品を全部観ていないので強く言えないのだが(確実に目玉だった「氷菓」について僕がブログで全くコメントしないのは加入しているCSチャンネルで放送されないからだ。原作を読んではいてもアニメは観ていない)京アニは映像に常にエフェクトをかけてきた。
「らきすた」では世界全てがこなた達のキャラに合わせて微妙にデフォルメされ「CLANNAD」では死のイメージが降りていた。「けいおん!」ではMTVを模したかのようなスタイリッシュでテンポのいい処理が施され、「日常」ではシュールなギャグ空間に合わせて世界はどこかに隙間が発生していた。
これらの作品は特別な場面に遭遇すると他のアニメ作品がそうであるようにさらに強い映像処理が被さる。
「中恋」でもそれは顕著だ。中恋では陽だまりのなかにいるような薄い光のベールがかかっている。
そこへ「けいおん!」を推し進めた描きこまれた日常。
そこには頻繁に六花視点の妄想が挿入される。
勇太の妄想や誠の妄想には確実に映像にエフェクトがかかっている。
だが六花の妄想にはエフェクトがかかっていない。普通の日常描写と地続きになっている。
リアルな日常の風景と六花の妄想を区別していない。
映像的に差別していない。殊更に特別な場面としては扱っていない。
日常と妄想を同じレベルで扱っている。
むしろ想像の産物である中二世界のほうが普通の日常生活より密度が濃い場合だってある。
現実に接近しつつそれでも中恋の映像空間は、中二の世界がぐいぐい面白い映像になるように志向されている。
中二というのはネット世界でも現実世界でも蔑称のシンボルだ。
オタク自身が嘲笑の言葉として扱い、黒歴史としてマスキングをかける。
でもオタクが全員そうだったように(そしてこれからも)「中二」はオタクのシェルターとして機能し続ける。
ヤンキーが、バイクや改造車に乗って深夜ウロウロするように。読書中毒が休み時間はずっと本を読んでいるように。
ロック好きが週末のインディーズライブに全てをかけて、平日は常に携帯プレイヤーのイヤホンを耳にあてがっているように。
それはとても大事なことだ。
大人になった僕たちは気恥ずかしさと共に笑い飛ばそうとするけれど、あの瞬間「中二」という世界は世間様に馴染めない僕たちの生活をちょっとだけでも、でも確実に良くしてくれた。それだけは否定できない。
六花はリリカルに画面のなかで動き続ける。非生産的なセリフを機関銃のように喋り続ける。
中二の世界に没入している者特有の躁状態だ。
六花は不条理な使命感に支配されている。六花は中二の世界に救われている。
僕たちがそうであったように。そしてオタクがそうあり続けるように。
十花も九十九も六花の中二世界を否定しない。安易に承認欲求を満たしている訳ではない。
嘘をついてかつての自分を否定しないだけだ。だから六花の世界に併せつつも、ダメな事柄はダメと言い含める。
中恋が不安定にならないのは大人たちに世界に対する余裕があるからだ。
中二病をポジティブに描く場合、バッシングの可能性がついてまわる。
現実世界に帰れ。社会を直視しろ。逃避するな。いつまでも子供のままではいられない。
でも六花はどうやったって現役高校一年生のオタクだ。
大人みたいに酒も飲めないし、旅行もできない。煙草も吸えないし、金だって使える額は限られている。
毎朝起きれば登校しないといけない。大人のように割り切れないから人間関係だって辛い。
自意識が過剰な思春期だから、他人にというよりは完成していない自我に振り回され続けるだろう。
そんな彼女から中二を取りあげてしまったら、六花はコミュニケーション能力が欠如している高校一年生の女の子になってしまう。
監督の石原立也は京アニの取締まり役でもある。
シリーズ構成は花田十輝。キャラデザに池田和美。美術監督に篠原睦雄。一話二話の絵コンテは石原自身が担当している。
京アニはきちんと自分のスタンスで中二を描きたいみたいだ。
そこにあるのはやるせなさでも恥ずかしさでもない。現在進行形の中二だ。
ここにある映像の中二は、日常生活の一部として見えてしまう作用を持っている。
三話の作画監督である丸木縒宣明は三話のスタッフコメントでこうコメントしている。
「中二病の空間密度が増し、ツッコミが忙しくなる勇太をニヤニヤと眺めつつ、この愛すべき中二キャラ達を、痛かわいくみていただけるように気持ちを込めながら作業に取り組みました」
六花は現実より中二の世界を優先している。第三話の部活体験がそうであるように、自分の中二テイストに会いそうな場面に遭遇すると、周囲の目など気にせずに強引に自分の世界に招き寄せようとする図々しさを持っている。
映像はリアルな普通の日常映像と中二映像を繰り返すことで視聴者から中二をコミカルな形で剥奪するのではなく、獲得する方向へ誘う。
タイトルは「中二病でも恋がしたい!」だ。六花は恋をするかもしれない。現実世界でも守るべきものが生まれた時、愛される可能性が自分にもあると知ったら現実世界にも価値を見出すかも知れない。
でもタイトルは「中二病でも恋がしたい!」だ。
端的に言うなら恋をしても中二は中二だ。恋をすればオタクからドロップアウトする可能性も否定できないが、自分が最盛期だった頃のアニソンを聴けば当時が懐かしくなって確実に記憶の奈落に落ちる。
六花の周囲には友人になってくれそうなキャラが控えている。
「極東魔術結社」もどう動くか現時点では不明だ。
個人的には六花と周囲の仲間たちの人生が、ほんのすこしでも良くなるように作用して欲しい。
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