エロハーレムバトル漫画『聖痕のクェイサー』が世界を席巻する日

考察聖痕のクェイサーToLOVEるコミックアニメ伝奇アクションエロハーレム

聖痕のクェイサー 1 (チャンピオンREDコミックス)

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To LOVEる -とらぶる- ダークネス (1) (ジャンプコミックス)

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アニメ化も二期あったし、僕のページに来る僕と同じボンクラ趣味の方々には説明の必要はないと思うのであらすじとか書きません。

聖痕のクェイサー
原作:吉野弘幸
作画:佐藤健悦

「クエイサー」といえば

「おっぱい」「喘ぐ」「エッチなお仕置き」「バトル」「ハーレム」「恋愛」

です。
ここは後で重要な要素となるんで覚えといてください

後、今回はいつもにも増して滅茶苦茶長いです。
「クエイサー」を語ると終戦直後から発生し、現在世間を席巻している「伝奇バトル」とバブル期、零年代以降に大量発生した「エロハーレムバトル」コミック黎明期からあった「ヒーロー像」について言及せざる得ないからです。

それから今回はタグを[感想]ではなく[考察]にします。「そう仮定した場合なら」という制作者の意図の外側からのアプローチを多く含んでいるからです。以後文章はすべて「そう仮定した場合なら」で進みます。

  • 吉野と佐藤の「クエイサー」と長谷見と矢吹の「ダークネス」は同じ。

いきなりこんなこといってごめんね。でも聴いて下さい。

矢吹健太郎長谷見沙貴エロラブコメToLOVEる ダークネス」が非常な速度で「エロハーレムバトルもの」に急接近している。
熱心な「ダークネス」ファンなら「ダークネス」がラブコメにもかかわらず、エロハーレムバトル要素である上記の項目を包括しているのに気付く筈だ。
「バトルものと合流する」という結論に辿りついた矢吹は作品のテーマを前面に押し出すことで、現代の格闘マンガ界に潜んでいる不謹慎さを喝破してしまった。原作が長谷見沙貴なので当然かもしれない。長谷見の活動は80年代にさかのぼる。
矢吹と長谷見の持論はモモの口語によって語られている。「ダークネス」らしいモモとリトの混浴シーンにおいて。

「創りましょう…!/リトさんの"楽園(ハーレム)"を/皆が素直になれるよう私がお手伝いしますから」

これは「バトルものとの合流」だけではなく、近年顕著になってきた「ハーレムバトルもの」の現状を見抜いている。
矢吹は1980年生まれなのでいわゆる「ハーレムもの」の現状を思春期にリアルな視線で眺めたんだと思う。
矢吹と長谷見がエロゲーで高ぶった思春期を過ごしたかは不明だけれど。矢吹はアリスソフトをはじめとする「明るいエロハーレム」「ハーレム創造ゲーム」の影響を直に受けている可能性が高い。バトルで他国を侵略し、美少女を自分の配下に置く。しかも有り得ない事にみんなハッピーになる。その結果が作品に直結しているんだろう。
「聖痕のクエイサー」も全く同じだ。
ただし、「クエイサー」の原作、吉野弘幸は少し違う。吉野は1970年生まれ。長谷見は調べても生年月日は不明だけれど、少なくとも作画でありながら「ダークネス」をコントロールしている矢吹とはきっちり10年の差がある。

この10年の差は大きい。矢吹が身近に接してきた「ハーレムジャンル」が吉野にはなかった。それには後、20年待たないといけない。
原作を担当した吉野の思春期のエロゲーといえばなんだか封印したくなるような陰湿なものが多かった
DVDは存在せず、エロビデオはバカみたいに高かった。鑑賞は質の悪いダビングものを友人の間でまわして観ないと叶わなかった。
手軽に格安で手に入るエロメディアはエロ雑誌しかなかった。

  • 伝奇アクション「クエイサー」はなにに影響を受けたのか。それがラブコメ「ダークネス」との差異になる。

だから僕は1988年に新装刊されたエロマンガ雑誌「コミックジャンボが吉野に影響しているように思える。
編集者の意図により「徹底的になにからなにまで少年ジャンプの真似をしよう」として作られた「ジャンボ」は「オタクではなく、運動部活帰りの高校生に売れるちょっとエッチなコミック雑誌」をコンセプトして作られた。
以降、後続のエロマンガ雑誌はこのスタイルを盛んに模倣する。これらのエロマンガ雑誌流行は吉野の思春期とそれ以降に合致する。
この精神はそのままそっくりクエイサーに受け継がれているように思える。
クエイサーの単行本デザインに、原作の吉野がどこまでかかわっているかは不明だけれど、クエイサーの単行本表紙を手に取るだけではただの「美少女が添え物の、ジャンプのバトルモノまがいの作品」としか映らないだろう。
「ダークネス」がどうやったって「美少女メインのアダルトゲームのパッケージ」にしか見えないのとは対照的だ。
「ダークネス」は実体験からいうと思春期の高校生が本屋のレジに持っていくには恥ずかしいものなのに(最近はアマゾンがあるけど)、「クエイサー」はそれなりに買えてしまう表紙だ。

それから吉野に影響を与えたエロ文化、バトル文化として菊地秀行夢枕獏の伝奇シリーズがあげられる。
エロを前面に押し出し、美少女のリョナ描写などがふんだんに盛り込まれたこれらの伝奇は同じ「クエイサー」にも徹底的に受け継がれている。しかしその背後には根本的な影響を与えた影が潜んでいる。
実際に影響を与えたのは昭和後期に絶大なベストセラーを誇り、いまなお復刊されては確実にファンを作り続けている終戦直後にデビューした故山田風太郎の伝奇忍法帳小説じゃないのか。
吉野は千葉県出身ということだけど、当時、山田風太郎の忍法帳小説は山奥の古本屋でも棚に放り込まれていた。
それだけ当時としては破格のベストセラーであり、影響力があり、また簡単に入手が可能な書籍だった。

「聖痕のクエイサー」がエロ伝奇バトルなのは最近の風潮ではなく、恐らく伝統的なものによる。

僕にはクエイサーに登場する人物全てが山田風太郎忍法小説の忍者、特にヒロインはくのいちに見えて仕方がない。
神聖ながらも汚れた存在として、主人公やライバルの援護にまわるヒロイン。
「おっぱいからエネルギー補給」や翠玲学園編(アニメでは二期)の「魔女の礎回路」は山田風太郎の忍法小説のくのいち達が「性的行為で相手のエネルギーを吸う」あるいは逆に「主人公を強化する」発想の逆転版だ。
それ以前に「女性しか子供を生みえない生産性」に目を付けた風太郎忍法小説には女性のエネルギーを忍法に転換する発想が多くみられる。
セクシャルな山辺キリスト教義的な秘術を体内に秘めている。これは「外道忍法帳」でローマ法王に派遣された使節法王からたまわった秘宝を十五童女の体内に託した設定と似ている。
燈の父親は、教会の奥に真実を隠していたけれど、これは隠れキリシタンが仏像を後ろ盾に、背後にマリア像を隠していたのと類似点がある。
また燈がマリア的な要素を包括しているのも、燈を巡ってバトルを繰り広げるのも「外道忍法帳」のラインだ。
これはVシネでタイトルだけは有名になった「くの一忍法帳」にも共通する。

そもそも女性を巡って異能力者が闘うのも、山田風太郎のバトル設定と酷似している。また山田風太郎は初期に隠れキリシタンの短編小説を多数書いている。
山田風太郎を連呼しているけれど、この発想は古今東西山田風太郎しか生み出しえていない
菊地秀行は自分を評して「もっとも山田風太郎の影響を受けた作家」と公言している。
山田風太郎と同時期、あるいは以前の日本の活劇伝奇シーンである国枝史郎野村胡堂角田喜久雄、土師清二なんかはここまであからさまに書いていない。
海外の伝奇でも「運命の女性」があるものの、全く種類が異なる。
伝奇の源泉であるラドクリフ、マーチュリン、ルイス、ウォルポールのゴシック、怪奇、恐怖小説の目的はあくまで「怖がらせるもの」であって「血沸き肉躍るもの」じゃないからだ。
女性を救出する為にヴァンパイアハンターヘルシング教授とハーカーの仲間が活躍するストーカーの「ドラキュラ」でさえ冗長だ。
現在の活劇「ドラキュラ」もののイメージは全てハマープロ制作、クリストファー・リー主演の「吸血鬼ドラキュラ」、ハリウッド制作、ベラ・ルゴシ主演の「ドラキュラ」のイメージによる。
平野耕太の大ヒット作ヘルシングをはじめとする超人ヴァン・ヘルシングのイメージは「吸血鬼ドラキュラ」でリー以上に身体を張った演技で観客を湧かせたピーター・カッシングの賜物だ。
ただし、山田風太郎が影響を受けた吉川英治の初期の伝奇小説には、そういった「異能が全編にわたって特定の女性を巡っての格闘を繰り広げる」が散見される。また山東京伝八犬伝」「桜姫全伝曙草紙」があげられる。
ただしこれらはほぼ例外だ。それ以前の伝奇には「エロ」と「活劇」が直結していなかった。
「草紙モノ」や大衆分野の歌舞伎、色本などは割愛する。ここまでくると吉野に影響を与えたとは考え難い。

ちなみに山田風太郎の「女性のエネルギー」と夢枕獏の「仏教思想」、菊地の「多国籍伝奇バイオレンス」を組み合わせたのが、大ヒットした荻野真の伝奇バトル孔雀王だ。伝奇作家、朝松健は同じ路線を選択している。両者共に密教がモチーフになっている。エロ描写に関してはいうまでもない。

  • 少年向け分野への波及。矢吹の「ダークネス」は恐らくここから。

少年向けにエロが不要と判断したのか、代わりに萌えを導入したライト少年版介錯鋼鉄天使くるみ有楽彰展東京アンダーグラウンド赤人義一屍姫瀬川はじめ喰霊だ。他にも挙げるときりがない。
こちらは忍法帳というよりはエピゴーネンである菊地の「魔界都市新宿」のヒットを受けて少年誌に続々と登場した「伝奇バトル」を経由している。同人ラインでは奈須きのこFateシリーズ」がある。

ゲームでは代表格としてサクラ大戦が該当する。この大ヒットを受け、あからさまにエロハーレムに変更したらいむいろ戦奇譚という二番煎じが出現する。脚本のあかほりさとるは「サクラ大戦」の脚本も担当していた。
あかほりさとる「エロハーレムバトル」を90年代の日本オタク文化に普及させた人間のひとりだ。
ここに至って「ハーレムバトル」はパソコンとインターネットメディアの普及を受け、前述した「エロハーレムバトル」に変更を遂げていた。
「少年誌伝奇バトル」に「エロハーレム」が合流するのはこの後すぐだ。

  • サーシャの迫害者設定は伝奇モノや海外ヒーローの背後にある。

アレクサンドル=ニコラエビッチ=ヘル、通称サーシャをはじめとして「クエイサー」にはアウトサイドの人間が多い
まふゆや燈にしたって冒頭では周囲に嫌われている。二人を繋ぎとめているのはプラトニックな同性愛だ。
テレサ、カーチャも同じくし、カーチャの奴隷となる華は、マゾで同性愛の性異常者とカーチャに喝破されてからは完全にアウトサイドの仲間入りだ。華自体が社会とのギャップを以前から抱えており、カーチャとの遭遇は救いとなっている。
これはそのまま「クエイサー」の敵組織、味方組織、全ての人間に適応される。

彼らは超人である時点で人間性を剥奪されている。結果として「組織」に従属し、組織の為に死ぬことに喜びを見出している
サーシャやテレサをはじめとして「クエイサー」の闘う人間の思想根源になっている。
だから衆人環視のなか平気でおっぱいを吸わせるという設定が成り立つ。
これもそのまま山田風太郎伊賀忍者甲賀忍者、幕府の人間等の設定と共通する。
山田風太郎のヒーローが「迫害されている畸形人種」なのは忍法帳シリーズを読めば明らかだ。風太郎の初期作品には畸形を扱った作品が山ほどある。
国枝史郎や伝奇作家が書く人間は明らかに差別されている部落だ。
これは高度成長期時代のヒーローも同じくし、ウルトラマン仮面ライダーデビルマン月光仮面などにも該当する。実在のヒーロー、力道山さえ朝鮮人なのだから。
海外でも同じ流れが発生している。アメリカンコミックスだ。バットマン、X−メン、ハルク、スパイダーマンといったアウトサイドの人間がヒーローとして闘うという設定だ。
海外ヒーローがユダヤ人や黒人、先住民のメタファーなのはアメコミファンの間では周知の事実になっている。
スーパーマンはクリプトン星人で、地球での育ての親はユダヤ人だ。
キャプテン・アメリカですら、誕生の経緯となった超人兵士計画は1930年代にアメリカが開始した黒人を中心に行ったタスキーギ梅毒実験がモチーフになっている可能性があると示唆されている。(1997年にクリントン大統領が謝罪)
US、UK圏最大のヒーロー、キリストも聖書に「ダビデの子であり、アブラハムの子である」とるとおりユダヤ人として生まれた
伝奇モノはこの設定を利用してマグダラのマリアを唱えたものが多い。

サーシャが所属している組織は「オーソドックス」という名のキリスト教だ。
山辺燈、まふゆがマグダラのマリアと重ねられているのは「クエイサー」本編を見ればすぐに分かる。

闘いに死んでいくヒーロー達を、インサイドからの接点として恋人や友人、組織の仲間が繋ぎとめている。これは「クエイサー」ではまふゆや華といった恋愛対象や、学園内の仲間というインサイドの設定に流用されている。だから「クエイサー」のインサイドで活躍するのはアメコミやウルトラマンがそうであるように、まふゆや学園の仲間だ。

  • 肝心のエロ描写。

風太郎の影響だとしか言えない。過去を遡っても「エロ」を「バトル」として成立させた人間は風太郎しか見当たらない。菊地や夢枕、朝松健などの後続は完全に風太郎の影響を受けている
風太郎のエロ描写は畸形のエロ描写と繋がるので19世紀のロンドンや日本のお化け屋敷で行われたフリークス小屋同様、強烈なインパクトを読者に残す。
ただし、それは読み手にトラウマを埋め込むようなものではなく、痛快な活劇と諧謔性のある発想の元に書かれているのでむしろ秀逸な怪談や幻想小説の域にまで達している。
敵の男根を女性器でがっちり咥えこんで離れなくする。敵が油断した瞬間に子宮に待機していた赤ん坊が女性器から手を突きだして敵に止めを刺す。愛液(おっぱいのお乳もある。クエイサーとは逆だ)を飛ばして敵を攻撃する。
男性側も強烈だ。一度抱かれたら精子の効能で同じ相手に抱かれないと悶え死ぬ。髪の毛で女性をいたぶれば女性は性的な快楽に本音を吐かずにはいられない。精子の塊を設置しておけば臭いに引かれて女がやってくるけど、塊に触れた途端に粘着力で身体が剥がれない。
このバカバカしいというよりボンクラな「身体の原点構造を利用」して行われるエロバトルはそのまま「クエイサー」の「元素の原点構造を利用」するバトルに繋がる。
ただし、山田風太郎のようにはいかない。露骨な性描写には理由付けがないと規制される。そこでジャンプのバトルマンガだ。

吉野弘幸佐藤健悦は「クエイサー」以前に舞-乙HiMEというメディアミックス作品の未来伝奇を描いている。
そこで行われたバトルとエロ描写は原作付きで抑えられつつもそれでも「クエイサー」のバトルの萌芽となっている。

「お仕置きエロ」「リョナ描写」は風太郎にも見受けられる。
「クエイサー」では女性キャラが淫行を受けて本音を引き出される描写があるけど、これは風太郎の「男性に忍法で性的快楽を引き出され本音を吐露する」がある。それを直接的にやったのが菊地秀行だ。夢枕獏は完結したサイコダイバーシリーズで「相手の潜在意識を探る」という手法を確立した。もっとも夢枕獏も性描写はあからさまだけど。
翠玲学園編のサイバースペースは潜在意識のメタファーだ。
ただし夢枕獏キリスト教ではなく、日本の仏教思想が根底にある。
前述したように「魔女の礎回路」では大量の女生徒が生贄になっている。回路にエネルギーを吸収され、大量の裸の女生徒が喘いでいるシーンがある。これは女性エネルギーをバトルのエネルギーに転換させる風太郎の得意技と同じだ。
一番有名な忍法帳シリーズ「魔界転生」に登場する秘術「魔界転生」は女性がいないと成立しない。死ぬ寸前の人間の精液を「選ばれた女性」に受精させ、女性の体内を突き破って(女性を生贄にして)生まれ変わる忍術だからだ。
これを応用したのが前述した孔雀王であり屍姫だ。

もっとも吉野はエロ描写を観る限り、風太郎と同時に、1982年魔界都市新宿」1985年「魔界行」で強烈なデビューとベストセラーを誇ったエロ伝奇バトルの菊地秀行の影響も受けている気がする。菊地秀行のデビューは高度成長期時代なので書籍は安易に入手可能だ。

「クエイサー」作画の佐藤健悦はデビュー前は山本賢治松山せいじの元でアシスタントをしていた。
この二人の作風をみたことがあるひとならピンとくる筈だ。松山せいじエイケンで異常に発達したおっぱいを描いて商業誌にゆさぶりをかけた。山本賢治はメジャー商業以前にエロマンガを大量に描いている。

  • エロハーレムバトル漫画『聖痕のクエイサー』が世界を席巻する日。

現在「クエイサー」の誕生経緯を説明する際に列挙したシュチュエーション、条件を満たすいわゆる不謹慎な流れが「クエイサー」をはじめとしてアニメ、ラノベ、コミック業界に満ちつつある。
「クエイサー」の潜在的同族を挙げるときりがない。赤松健ネギま!は最たるものだろう。学園ものの体裁を持っておきながら「ダークネス」「クエイサー」同様、バトル、恋愛、エロ、ハーレム、おっぱい、エッチなお仕置きなど、あらゆる点で同族だ。もっともこの作品も「ダークネス」同様ラブコメを経由しているが。しかし「ネギま!」がそうであったように、
今後エロラブコメがハーレムバトルに接近していく流れが顕著になると僕は思う。
そういえば「ねぎま!」のヒロインの一人であるこのかが「選ばれた女性」として生贄に選ばれるエピソードもあった。赤松健は1968年生まれ。吉野とは2年しか差がない。

ToLOVEる ダークネス」「ねぎま!」はラブコメを経由した。しかし「クエイサー」同様、伝奇を経由したエロハーレムバトルのエピゴーネンは現在、巷に溢れかえっている。
セキレイ」「ハイスクールD×D」「だから僕はHができない」「エルファンリート」「クイーンズブレイド
これらは全て列挙した条項と一致する。
だがそれは突然変異的な流れじゃない。故山田風太郎という終戦直後に萌芽が存在する伝統ある形式だ。

現在進行中の作品は、積極的にあらゆるオタク文化を摂取し続けビジュアルや設定に取り込んでもいる。
ゴス、サイバーパンク、ロボット、疑似キリスト教義、諜報員小説、多国籍国家ときりがない。

山田秀樹の時代劇おっぱいバトル魔乳秘剣帖はタイトルからし山田風太郎からの影響を肯定している。
魔乳秘剣帖はアニメにもなった。監督は「クエイサー」と同じ金子ひらくだ。
百花繚乱 SAMURAI GIRLS山田風太郎の影響を肯定するのを堂々と突きぬけた。風太郎作品のタイトルがパロディ化してサブタイトルになっているばかりか、生徒会執行部と闘うなど「ラブコメ」と「エロハーレム」「伝奇バトル」の分水嶺が存在しない

魔法少女まどか☆マギカは正反対だ。スタイルは伝奇バトルを模しておきながら、脚本の虚淵が体験したあらゆるものを完全に解体し、再構築している。
まどマギ」がこの記事で述べた項目にいくつも当て嵌まるのに気付いたひともいるだろう。
まどマギ」の感想ならともかく、考察しようとすると論点がブレるのは虚淵があらゆるジャンルを多層的に重ねているからだ。
これは言及した喰霊のアニメ化喰霊零」の脚本担当の時点でその片鱗をみせていた。例えば「零」オリジナルキャラである女性室長は身体障害者で車椅子を利用しているが車椅子には仕込み武器がある。女性室長はスーツ姿だ。秘書も女性であるにもかかわらず黒スーツに細ネクタイ。フィルム・ノワールや黄金期にあった日本映画、スパイ漫画などあらゆる要素がごちゃまぜになっている。
恐らく正確に「まどマギ」を考察しようと思ったら完全にストーリーラインを把握し、あらゆる資料を閲覧した挙句、虚淵や新房本人のインタビューを聴きながら照らし合わせるなどの作業を経過しないといけない。
いまなお話題にのぼる少女たちの心理描写にしてからが90年代香港ノワールや40年代ハリウッドのフィルム・ノワール、トム・ゴトウィンの「冷たい方程式」、ナチスホロコーストを扱ったウィリアム・スタイロンの「ソフィーの選択など類型は山ほどある。
さらに「まどマギ」は現在あらゆるメディアと迎合し、虚淵や新房などと交互に作用し合っている。
まどマギ」を語ろうとすれば「ガンダム」ファンと同じく、おそらくそのひとのライフワークと化すと僕は思う。
僕は咲クラスタだが「咲アンテナ」にはあらゆるジャンルの咲ファンが集結して「咲」考察を繰り返している。
「咲アンテナ様」
このサイトで何度も言及しているが「咲」は小林立が体験したあらゆるものを解体、再構築しているからだ。
完全に頭が下がる。僕たちは他人の頭のなかを覗けない。そのネックをネットの集合知でカヴァーしている。

話が逸れた。今後の日本バトル文化の流れとしてエロハーレムバトルがメインストリームの一部と化す可能性が高い。ビジュアル面では永井豪の「キューティーハニーが嚆矢とされるだろう。
同時進行的に「クエイサー」「ダークネス」同様、これらの作品は日本のオタク文化として海外に積極的に輸出されつつもある。
その結果としての逆輸入版が林達永と金光鉉による「フリージング」だ。この作品はアニメ化される際、バイオレント描写は切り捨てられ、エロが大量に導入された。

世間を席巻しつつある「エロハーレムバトルもの」だが、だけど完全に周囲を駆逐するには至らないと僕は思う。
正統派バトル漫画の汗臭い硬派な流れを支持する一派も根強く存在するからだ。
インパクト、格闘思想という点において「クエイサー」はキン肉マン「バキ」ジョジョにあらゆる面で劣る。
しかし「クエイサー」の後輩がキン肉マン「バキ」ジョジョの後輩と肩を並べて比較される時代はそう遠くないはずだという予感が僕にはある。

くノ一忍法帖 山田風太郎忍法帖(5) (講談社文庫)

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鬼畜王ランス 通常版

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