世界規模の聖杯獲得戦『ブラックラグーン』

漫画ブラックラグーン感想

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奈須きのこ原作のFate」シリーズにおける「聖杯争奪戦」は汎用性の高いシステムだけれど、それは当然だ。その名の通り「聖杯探究」というシステムを露骨に取り入れた物語だからだ。
「聖杯探究」。過去に与えられた問いに、間違いを犯した喪失者が、なにかを獲得しようともがく物語。
Fate」が正統的な聖杯探究なのはサーヴァントそれぞれが持ち合わせている物語と、聖杯獲得の動機があからさまに「生前失ったものを獲得する」ものだったことからも明らかだろう。
キリスト教義という最大の物語が与える影響は現代東洋にまでおよんでいる。
広江礼威の『ブラックラグーンも例外じゃない。

広江礼威の『ブラックラグーン』が2年9カ月ぶりに連載を再開した。これは漫画ファンにとってとても喜ばしいことだ。
喪失した者、獲得する者、すなわち聖杯探究の物語を「現在のいま、ここ」において壮絶なストーリーで繰り広げていた希少な漫画だからだ。
それは「ブラクラ」のセリフの一つ一つをとっても強調されている。
人種差別や宗教問題、社会の動向を卑近な翻訳口調のジョークで笑い飛ばしてみせるアイロニー

ブラクラには様々な持つべきものと持たざるものの葛藤がある。
この物語は互いが喪失したものを求めてきしりをあげ、せめぎ合い、血塗れになって奪い合う。出口はない。
それが44話から76話まで継続して語られた「ロベルタ復讐編」によってエモーショナルな解答を提出した。
僕は読んでいて爽快感すら覚えた。
ガンスリンガー・ガール」や「マスター・キートン伊藤計劃の「虐殺器官」が聖杯探究を非常に理路整然とした形で落としこんだものを広江礼威はエモーショナルなかたちで実行したといえる。平野耕太ヘルシング」「ドリフターズ小林立咲-Saki-五十嵐あぐり咲-Saki-阿知賀」と同類型だろう。
それだけに新たな展開が今から待ち望まれる。

そもそもブラクラは最初からエモーショナルな展開に溢れていた。セリフ、行動、展開。全てが突発的であり、情動的。
理論で説明がつかない。「殺られる前に殺れ」的な発想の持ち主ばかりが集っていたロアナプラ。喪失したこの街は当然、国家もなく、人種も無く、血統もない、神すらも存在しない混沌とした、妄想だけが充溢している閉塞的な街だった。
その象徴が「ホテル・モスクワ」「三合会」「ラグーン商会」「リップ・オブ・チャーチ」だろう。

ロアナプラに過去を喪失した者が訪れる。喪失者レヴィとラグーン商会、持たざる者たちが何かを獲得する為に「聖杯探究」「聖杯争奪戦」を繰り広げる。そして喪失した者は聖杯を得て、あるいは獲得しないまま去っていく。

最初の喪失者は岡島緑郎。会社に従属するという間違った解答により過去を失った彼は、レヴィと合流することで新たな「ロック」という名を獲得し、ロアナプラの住人というポジションも獲得する。この時点で僕は彼が「新たに獲得した別のもの」を心の奥深くに隠したことに気付かなかった。だが、彼の獲得したものは徐々に彼よりも大きくなっていく。
最終的には彼が物語の原動力として「ブラクラ」の展開を導いて行くようになる。

最初に顕著になるのは10話でレヴィと言い争いになるシーンだった。ここで彼はボンクラなレヴィに「誇り」を獲得しろと圧倒する。実に理想的なというかまっとうな言い分だ。
だけれど双子のゴスロリ姉弟ヘンゼルとグレーテル編」という自己犠牲と自己願望だけではどうしようもない出口のない物語に衝突してから彼の言動は徐々に昏く、ノワールの道へと舵をとりだす。

ロックの聖杯獲得の方法論が決定的になるのは日本編だろう。
日本編では「雪緒に救いを与えたい」「雪緒から全てを奪え」という相反しながらも彼女を救出する二つの相対的な獲得方法が露骨な形で牙を剥く。互いに喰いあう。結果として「雪緒から全てを奪え」という方法が勝利する。

だから雪緒がロックに「あなたが嫌い」というのは「雪緒が持っていなかったものをロックが持っている」だけが原因じゃない。
場の流れから確実に、雪緒の大事なものまでロックが奪っていくことを雪緒は多分、知っていたからだ。
雪緒の死にロックは傷を受ける。傷が印になるのはキリストの受難から「指輪物語」のラストまで共通する物語のストーリーラインだ。
印を得たロックはダッチにサルトルの言葉を通して助言を受ける。「人生は賭け」

ロックの昏い情動故に、正確足り得ている聖杯獲得への嗅覚は「ロベルタ復讐戦」で見事に開花する。
「ロベルタ復讐戦」は「ブラクラ」の登場人物、物語展開の総決算で、かつ、その負の連鎖についての決着をどうつけるか、という問題提起になっていたからだ。
「ロベルタ復讐戦」は家主を失ったロベルタをはじめとして登場人物全員が過去を喪失したものを新たに、あるいは再度獲得しようとする物語だった。
ホテル・モスクワ、三合会、(ラグーン商会含む)ラブレス家。この小さなロアナプラの獲得構図はそのまま第三世界南アメリカと、帝国アメリカ合衆国という獲得構図へとリンクしている。

しかもアメリカ合衆国のキャクストン陸軍少佐はアメリカによって過去を喪失している。失われし帝国、アメリカ合衆国の正統後継者である少佐の介入により、ホテル・モスクワは「ソビエト連邦」という絶対に獲得出来ない過去を埋め合わせよういう動きに発展する。

この「かつて世界を震撼させた二大帝国」の末端が「現在世界の混乱の一部である南アメリカ」の獲得戦に合流することで物語は異常なまでの激流と化す。

  • ロアナプラ住人の利権の獲得
  • ロベルタの失われた過去の獲得
  • ラブレス家によるロベルタの獲得
  • キャクストン陸軍少佐のベトナム、アフガン時代の過去の獲得


という実に個人的な聖杯から、

という現代的な国家のイデオロギー、時間という手に入れられない聖杯までブラクラは獲得し、物語に組み込む。

この激流の鍵を握ったのがロックだった。ここに至って彼は「賭け」「運」という未来を決定する要素に、どうしようもなく惹かれている自分に気づく。「賭け」「運」は「ブラクラ」をはじめとする聖杯争奪の重要なファクターだ。
だから激流の主導権を握っていたラブレス家をコントロールすることがロックには可能だった。

だけど決定的なのはガルシアが「誰も想像しえなかったものを獲得する」という展開からラストへの流れだろう。このシーンも太陽の下のプール、夜明けの草原というエモーショナルな構図で繰り広げられる。
ガルシアはレヴィの本質を見抜き、レヴィもガルシアの本質を見抜く。
ガルシアとレヴィは互いが拒絶するものを持ち合わせている。
どちらも悪くはない。「賭け」と「運」が表裏一体であるように、レヴィとガルシアも表裏一体だからだ。
このあやうさ。不安定さ。
だからラストは「愛が全て」とするガルシアの純粋さと「愛だけでは足りない」とするレヴィやロックのルールが擦り合わせに少しだけ成功した瞬間だ。それ故にあのラストはどこか寒々しかった。ガルシアもロベルタも厳しい表情だった。
虚構と妄想の街、ロアナプラから離脱し、純粋な魂で現実と対峙するのは困難な作業だからだ。

評価されるべきは広江の「小さな問題を解決することこそが大きな問題を解決する糸口になる」という語り口によるダイナミックさだろう。
ここには決断主義者を、それも気軽に決断主義者を名乗る偽者をすら排除する確固とした決意がある。正統後継者だろう。
ジェームス・ガンの「SUPER」や伊藤計劃の「虐殺器官」の主人公は激しく訴える。
「殺してみなきゃ分からないけど、試すだけの価値はある」

もうひとつ。広江の画力について。ロックやレヴィ、ロベルタの行動が昏い情動に見えるのは何かを獲得しつつあるからだ。
ひとがものを獲得する経過は他人から見ると場合によっては狂っていく行為に他ならない。
広江の描くレヴィやロックには読者を脅すような、突き離すような狂気に満ちたシーンがある。だが実際には狂っていない。
これを描ききる広江の画力は尋常じゃない。

レヴィは未だ宙ぶらりんのままだ。
彼女は社会の影響を受けていないように僕には見える。広江はレヴィがラグーン商会に参加したバックボーンを避けて描いている。
レヴィは何かを獲得出来るだろうか。それとも彼女は何も信じていないまま突っ走るのだろうか。

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