日本アニメの自警団。『アンパンマン』

アンパンマンアニメ自警団感想

それいけ! アンパンマン よみがえれ バナナ島[DVD]

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休日の前夜は友人と一緒に持ち合わせたDVDやBDを観ることが多い(「映画館」じゃないのが郊外ワーキングプアの哀しさよ。「友人」ではなく「彼女」。「DVDやBD」ではなく「映画館」ならこの記事もリア充っぽくなったかも)のだが、最近、僕が持参するのがやたらとノーラン版「バットマン三部作」だのウォッチメン」「キックアス」だの「スーパー!」だのといったいわゆる「ヒーローとは自警団である」という解体作業を露骨に行っちゃった映画ばかりなので、遂に影響を受けた友人が「自警団が俺の中でブーム」と公言するに至ってしまった。あ、オレもオレも。

これらの映画が自警団を自警団たらしめているのは映像の即時性と、終盤に用意されている選択と結末だと思う。
映像面の即時性というのは、いわゆるドキュメンタリータッチというか下世話な表現をすると「ニュース映像」とでもいうのか。
反対にアニメというカテゴリでは編集がガンガンにかかって、作画の段階で意図的に抽象レベルにまで映像が引き下げられている。
結果、編集された世界は限りなく主人公と視聴者に都合が良い。かくして自警団でもなんでもヒーローになってしまう。

何かの法的、国家的組織に属している訳じゃない。
誰かに金銭的に頼まれた訳じゃない。(私情を抜いた商売である以上、「暗殺」とかは自警団とは言い難い)
ただ己の正義の為に動く。
基本的に解決方法は暴力。

これが自警団のまあ、概念といっちゃ乱暴ですが、大雑把なカテゴリだと思う。
日本のアニメって結構こういうのあると思うんだけど、神格化されてる。「ヒーロー」だ。

今年の春に二期が予定されているとある科学の超電磁砲の美琴は基本、生徒会組織とは全然別物で動いている
映画にもなったとある魔術の禁書目録の上条は完全に自警団だろう。
彼らの武器が「レールガン」「イマジンブレイカーではなく、配管用レンチだったらどうなっていただろう。


上条や美琴を地でやったのがノーランの「バットマン三部作」であり、キック・アス」のレッド・ミスト、ビッグ・ダディ、ヒット・ガールだったりする。だからビッグ・ダディとヒット・ガールのシーンは限りなくノーランの「バットマンであり、レッド・ミストの改造車シーンは「バットモービルなのだ。
エフェクトがかかりまくりな派手な映像。金を惜しげも無く注ぎ込んだ改造車。レッド・ミストの改造車のシーンは「マシュー・ボーンってタチ悪いな」と感慨にふけったものだ。このシーンでマシュー・ボーンはノーランの無邪気さを喝破している。
それを裸にしたのがジェームズ・ガンの「スーパー!」だろう。
フランクは人生の奈落に落ちた時、キリスト教保守派の放送する子供向け教義番組を見て啓発にうたれ、神を見る。
生地を縫い合わせてスーツを自作する。凡人にも扱える手ごろな最凶兵器を探究した結果、配管レンチに辿りつく。
誰に聞かせるのか意味不明の実況中継をレコーダーに録音し、自家用車で悪人を轢き倒す。
レーニングも欠かさない。健康器具を使用して懸垂だ。
このシーンに金をかけたのがノーランの「バットマン」なのだ。特に「ビギンズ」
あれ?なんかおかしくね?なんだかんだ言いながら、結構ノーランの「バットマン三部作」って色々リスペクトされてね?

ともかく。
僕はアニメ版「アンパンマンが限りなくこういった「自警団」の空気を再現しているアニメ作品だと思っている。
「注意してくる」といっては暴れるバイキンマンを殴り倒し、乗り物ごと破壊行為に及ぶ。
誰にも頼まれもしてないのに勝手に「パトロールと称して街の上空をウロウロする。
ジャムおじさんの家に寄生しながら、「パトロール」と称して街を徘徊し、なんの意味も無いコスプレをして、バイキンマンとのガチ喧嘩に明け暮れながら彼は日々を消費しているのである。

ジャムおじさんも謎だ。僕は以前からジャムおじさんは偉人レベルの親父だと推論していた。ロックフェラーとか。
なにをされてもニコニコしている。パンも焼ける。ボランティアもする。アンパンマンとバタ子さんを養なう能力がある。
アンパンマン号を製造、運転する。アレってさらっと描かれているけど、水陸両用で空も飛び、内部にはかまどまで付いてるし、多彩なオプションも装着可能だ。
製造する段階で多額の資金が必要とされる設計だ。アンパンマン号はかなりのレベルで戦闘時に故障するが、ジャムおじさんは容易く修理する。普通に電検一種とか、溶接とか、危険物とかの技術が要求される。
そもそもアレって免許はどの部類に属するのか。普通二種とかフォークリフト、重機の免許でこと足りるレベルではない。
若い頃に事業家で成功した。しかし裏切りや嫉妬の感情に疲れ果て、老後をあの村で穏やかに過ごす。
そう決めた過去があってもなんら違和感はない。
だけれど、そんな過去は語られることはない。語った時点でジャムおじさんのバックボーンにアンパンマンの暴力は恐らく勝てないだろうからだ。ジャムおじさんはあくまでアンパンマンの熱心なファンなのだ。

すごく夢がないというか、「ガンダムは構造上あの足では立てない」的な発想でフィクション好きとしてはけしからん思考回路だ。でも「アンパンマン」を視聴していると僕は常に彼の行動に戸惑わされる。
それは彼が「選ばれた者」としてのハイテンションを臆面もなくさらしているからだ。
一方で「過剰なエフェクト」という野卑な映像のもとでは、彼の行う暴力など簡単に掻き消えてしまう。

アンパンマン開始直後の映像は時々変わる。印象に残るヴァージョンがある。パン工場の煙突に輝く流星群が突入する。パン工場が光り出す。
そこで僕はパン工場からアンパンマンが飛び出してくるかと思うのだが、予想に反してアンパンマンは画面の横から登場する。そしていつもの歌が開始される。
つまり流星群やパン工場全く関連がない。ただ流星群と輝くパン工場というエフェクトを視聴者に見せるためだけに、あのOPの冒頭は存在している。
あれが合図だ。あの輝く過剰なエフェクトで僕たちは「ヒロイックファンタジーがはじまる」と宣告される。
アンパンマンのスタッフは、開始から僅か週瞬の間に、視聴者の思考に「ヒーロー信奉」という無邪気で稚拙な概念を構築させてしまえる技量を持っている。
そういえば「スーパー!」でフランクが観るキリスト保守系の教義ドラマは子供向けで、エフェクトがバリバリにかかっていた。
アンパンマンはスタッフが用意した映像の中でしか正義の味方でいられない。

アンパンマンが無邪気なのには理由がある。彼が常に正義を考え、選択し、決断するとあの世界は終わりを迎えなければいけなくなる
本当は自警団である以上、自分の正義には解答をださなくはいけない。ださなくてもいいけど、そうであるならアンパンマンのように永遠に闘い続ける運命が待っている

スマイルプリキュアで悪人に追い詰められてプリキュアを続けるか、元の世界に帰るか否かという話があった。
とある科学の超電磁砲では佐天さんの能力が実はまやかしという「レベルアッパー」の回があった。
現実に追い詰められたヒロイン達の姿は滑稽だった。まとめサイトでも話題になった。
当然だ。彼女達は普通の女の子だ。調子に乗って自警団をやっていただけだ。あの時、彼女たちの表情が笑いを伴なうほどに惨めだったのは、彼女達はシナリオと映像的に一般市民と同じレベルで扱われたからだ。
彼女達は自分の正義のアイデンティティーを、視聴者の前で試されたのだ。
結果として彼女達は、仲間の為に正義の味方を選ぶ。ボーンアイデンティティーだ。この瞬間の佐天さんとプリキュアはなんだかとても美しかった。
子供たちのためのヒーロー像足りえていた。自分たちの正義を維持する、ただそれだけの理由で一時的にでもファンタジーの住人であることをあえて選んだのだから。
彼女達は自分の意思で「あっちの世界」へ行くことを選択したのだ。
アンパンマンのようにスタッフの用意した「あっちの世界」で虚勢を張るのとは正反対に。
だから「プリキュア」では新しい力を手に入れることができたのだ。プリキュアでは「新しい力」は「物語を終局に導くシンボル」として扱われている。日常のゆるふわ系から、シリアスな最終戦争へ向かう物語の集束の方向づけを意味している。
「仲間」がテーマのプリキュアにとって、この「自分で選択した仲間への答え」が物語の終局へとドライヴしていくのは見事としか言えないだろう。これが「スマイルプリキュア」の「夢のある」解答の一つなのだ。
解答を得た結果、物語は終息へと向かう。物語の基本だ。

「スマプリ」の解答は、宮崎駿漫画版「風の谷のナウシカ」や劇場映画で「この選択はダメ」という物語の袋小路の検証を、繰り返し思考錯誤している縮小版ともいえる。あれがプリキュアの選択と答えなのだ。
ライフワーク的な「漫画版ナウシカ」が決着したことで宮崎駿が作品に解答を見出したと思っているひとがいるようだが、その人たちは宮崎映画のラストの結末が毎回違っていることに恐らく意識的に気付いていない。
駿は自分の寿命を自覚しているかの如く、すごい勢いで巨大な問題提起をしては解答を導き出して「これは違うんじゃないかなあ」を繰り返しているのだ。
もっとも「趣味性が強い」という箇所はあながち外れではないが。それでも作品を提供する毎に話題になるのはみんなもどこかで「今回はどうなるのか」と期待しているからだ。
これが恐らく宮崎なりの後世への希望の残し方なのだ。それは冨野も同じだろう。不器用ではあるが、僕たちはそこを評価しなくてはいけない。作家である以上、作品で自分の意思を残すのだ。


話が逸れた。「スマプリ」と同じ「仲間」がテーマでありつつも、自分の手で選択をしないアンパンマンはマイナーヴァージョンアップを続けながらも絶対に終わらないという予感が僕にはある。
恐らくアンパンマンの視聴者も作品の終わりを望んでいない筈だ。そもそもアンパンマンファンはそこまで望んでいないし、望まれてもいないだろうけれど。

月光仮面の語り手が熟練紙芝居のおっさんではなく、やる気のない新人バイト君だったら「月光仮面」は限りなく怪しい存在に映るだろう。
それだからこそ、アニメスタッフは映像にファンタジーを選ばなければならなかった。
子供向けなのには裏打ちがある。アンパンマンが大人向けだと恐らく滑稽な暴力映画にしかならない。
彼はスタッフが用意してくれた舞台の上でしか闘えない。

ゲゲゲの鬼太郎「墓場の鬼太郎」が漫画好きの間で比較評価される。「墓場の鬼太郎」の映像が「ファンタジーに重点を置いたのではなく「グロテスク」「怪奇」に重点に置いたために流れとして完璧なヒーローにならなかったからだ。

ふとしたはずみでアンパンマンは第二のバイキンマンになるだろう。
アンパンマンバイキンマン善悪表裏一体なのだ。
そしてこの構造が続く限り、アンパンマンも永遠に続くだろう。
純粋な正義ゆえに自警団を続けるバットマンと、純粋な悪のジョーカーが闘い続けるように。

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