アニメ世界の新興住宅街
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郊外ってやつだ。ド田舎な訳ではない。しかし都会でもない。
遊びに行く場所といえば車で20分かけてラウンドワンか、大型書店兼レンタルショップにいかないとなにもない。
近くにショッピングモールがあるので日用品には事足りるが、特殊なものを手に入れようとすれば、それこそ一時間以上電車を乗り継いで都市部に足を運ぶか、最悪アマゾンか二択しかない。
住人は顔見知りばかりで挨拶もするが、自治体の拘束も強い。毎朝顔を合わせるのは知った顔だがそれ以上でも以下でもない。
休みの前日に飲みに行こうと思えば電車の終電を絶えず念頭に入れて飲まなければならず、終電が過ぎてしまえば、飲み屋の近くにあるカラオケで一晩を明かすしか手がない。
オタクにならない層は中古の外車を買う。新品の日本車より安いし、見た目デカくてカッコイイ。
そして深夜、仕事が終わったあとは、車数が極端に少ない国道を高速で走り、ドンキやラウンドワン、コンビニの駐車場にたむろする。
自分でこうして書いていても非常に退屈というか、どうしようもない土地である。
日本に限らず海外でもサバービアは安全と退屈の象徴である。サバービアを扱った映画のタイトルを挙げればきりがない。
退屈な日常から脱出しようとするのが海外のサバービアもんのパターンである。
では日本の、特にアニメってどうなんだろうなと。
「けいおん!」があれほどヒットした要因にはサバービアからの脱出があると思う。
入学当初、閑静な住宅街から登校した唯は、憂と和の愛に包まれて至極幸せであるが、どこか物足りないと感じている。
そこで部活をはじめるのが、「手軽にできそう」というタルい理由からけいおん部である。
しかしてその実態はお茶を飲むだけ。これってサバービアのラウンドワンやコンビニの駐車場、ショッピングモールでたむろする感覚とあんまり変わらんような気がする。
「ハルヒ」もヒットしたが、あれもサバービアであった。ハルヒは退屈な日常に我慢できない。
西宮には旅行したことがあるが、田舎ではなくとも都会ではなかった。住宅街が坂道に沿って続くだけである。
サバービアそのものだ。
ならば改造してしまえとハルヒは一念発起するのだが、やることといったらせいぜいが「宇宙人、未来人、超能力者はわたしのところに来なさい。普通の人間に興味はありません。以上」である。
結局、周囲の宇宙人、未来人、超能力者が世界維持のためにハルヒの周囲に集まってやらねば、ハルヒは退屈という理由だけで世界を壊しかねなかったのだ。
中学時代は色々やらかしていたようだが、それも日常に埋没してしまう。
その証拠に「劇場版:ハルヒの消失」におけるハルヒの普通振りはどうだ。不機嫌ぶりはどうだ。
キョンがやらねば結局あの娘は退屈なままだったのだ。
そもそも女性下着店の店長だった谷川流も退屈だったのではないのか。
でないと30を過ぎたおっさんがラノベを書こうなどと思う訳がない。
谷川は菊地秀行や創元、ハヤカワを愛読し、ラノベのBBSにも出入りしていた。
まあ、みんなと一緒でやっぱり谷川流も日常はつまんなかったのである。
「ハルヒ」は谷川が脱出する手段の一つだったのだ。だからハルヒやキョンが中二病をこじらせた描写は、秀逸以外のなにものでもなかったのである。
ああ、これって僕の求めていたサバービアものだよ!と観ていて非常に共感したアニメが「地獄少女」の二期と三期である。
露骨に巨大ショッピングモール、団地、住宅街、生徒数が少ない学校なんかが舞台として設定されている。
みんな死ぬほど退屈で、いつもの顔見知りにうんざりしている。
笑顔で「おはようございます」といいつつも退屈な日常を埋めるべく、他人や親族の粗さがしに終始している。
「あー、あいつ死んでくれたらオレの人生楽になるかもなあ。オレの人生うまくいかないのはあいつらが原因だよ」
と考えている。
そこへ地獄通信の噂が広まる。これ幸いとばかりに皆は負のスパイラルに陥っていく訳であるが、これも一種の脱出といえば脱出だ。
地獄少女はサバービアの裏に潜む情念をいぶりだしただけに過ぎないのだ。
「ToLOVEる」も然り。「ゆるゆり」「放浪息子」「たまこまーけっと」「オレイモ」も然りである。
今季のアニメでサーバビアを体現しているのが「はがないNEXT」と「琴浦さん」「みなみけ ただいま」だろう。
あの連中が全員ゆるゆるなのは、ゆるゆるのサバービアに住んでいるからだ。
疑似家族を形成しているのではなく、仲間と相互補助をしている間に、自然と疑似家族になるのだ。
彼らが一貫して呟くセリフはこれだ。
「なんか面白いことないかな」
ゆるいアニメは大体がサバービアが舞台である。作者、制作者の投影かもしれない。
彼らが生まれた年は高度成長期が完了した直後である。
父ちゃん母ちゃんは都市部に出勤し、マイホームは都市部から離れたベッドタウン。
といってもマイホームは勝ち組みか、後続組みで、初期の幾人かは団地の当選に当たって住み始めただろう。
親の帰りを待つ鍵っ子で育った彼らは互いの親と接する機会もなく、子供たちだけで群れて遊ぶ。
「深夜アニメには親が登場しない」とはよく言ったものである。創作上の構造や、親を排除することで純粋な子供だけの世界を構築出来ると言う理由もあるだろう。しかしなぜ、子供たちだけの世界を構築せねばならなかったのか。
彼ら制作者にとってはよほどのベテラン年配者でもない限り、親のいない子供だけの放課後世界が、リアルな風景だったのではないのか。丁度、僕みたいに。
「まどマギ」の風景が排煙ガンガンの工場地帯で、建設中のマンションが多く、生活インフラが整備中の工業ベルトを描く一方で、まどかたちの家は新興住宅街なのはおそらくそういった理由による。
スタッフにとっての悪夢と日常が多分、これなのだ。
描写こそされないもの、「まどマギ」のあの街は海沿いにあるという確信が僕にはある。
工業地帯は港のある海沿いに発展するからだ。
そしてまどかたちは夜な夜な徘徊する。まどかがほむらに相談するのはファストフードショップの店内でだ。
そこへきゅうべえさんが登場する。のっぴきならない理由があったとしても、契約をするのには動機が必要だ。
「アイカツ!」や「ラブライブ」「とあるシリーズ」みたいに毎日刺激に溢れていて、失敗と挫折、成功の繰り返し、都市や人がすごい勢いで変化するのと同調して主人公も激しく変化する、そんな日常とは無縁なのである。
真逆をいくのが「咲-Saki-」「咲-Saki-阿知賀」「たまゆら」「かみちゅ!」「ビブリア」「TARITARI」等の聖地が熱いアニメ、ドラマである。
共通しているのが「田舎」あるいは「衰退して田舎化しかかっている郊外」だということ。実家が田舎なのでこれもよくわかる。
田舎といえば、特殊な趣味を見つけてそれに埋没するか、あるいは異性と付き合って退屈を紛らわすしか他に手がないのである。
「咲」に登場する高校はほとんどが田舎出身校である。麻雀するしか他に手がない。和なんかネット麻雀である。
全国でトップに昇りつめたいのは、特殊な特技を生かして退屈な自分をどこまで昇華できるか試して見る絶好の機会だからだ。
「かみちゅ!」で祀がゆりえに興味を持ち、ゆりえが健児くんにめろめろなのには理由がある。
「たまゆら」のふうが死んだ父親の写真に執心しなければいけない理由はなんだったのか。
と、こう書くとスタバと大型書店を意味もなく崇拝する一部の精神的田吾作が「田舎は文化水準が低い」「田舎はオワコン」と言い出しそうなので、田舎の擁護にまわる。田舎だからこそである。
「咲」のバトルが熱いのも、「かみちゅ!」が死ぬほど面白いのも、「たまゆら」がどこかせつないのも、田舎ゆえの環境なのである。脱出はとうに諦めている。
彼らの問題は「どこでなにをすべきか」ではなく「ここでなにをすべきか」なのである。
「はがない」や「琴浦さん」「ハルヒ」「ゆるゆり」の連中はいつも同じ場所に集まって何かを企んでいる。
毎回サイゼリヤかガストに集まるのには、こずかいが少なすぎる。
コンビニやショッピングモールでたむろするには親や近所の目が厳し過ぎる。
だったら学校に部活を作ってそこでたむろすればいいのだ。「はがない」「琴浦さん」「ハルヒ」の部活がいい加減なのは仕方がない。
部活は集まる口実。部室も無料で遊ぶ場所を確保したいだけなのだ。
「はがない」の肉や理科がゲームに夢中になり、SOS団のメンバーや「咲」の麻雀部がボードゲームに興じ、栞子が古本に夢中になるのはメディアから情報を消費するしかないからだ。
「SOS団」や「隣人部」、栞子さんにとってリアルなのはメディアそのものであり、美琴や上条君の体感しているような目も醒めるような大活躍ではないのだ。
僕が予想するにサバービアのアニメやラノベ、漫画はこれからさらに増えて行くだろう。
ゆるい系、日常系も増えて行くだろう。
「琴浦さん」について「シリアス展開」とか「ギャグ展開」とか一部で議論が熱い。発生して然るべきである。
サバービアである以上、「琴浦さん」も普通な日常描写からは絶対に逃れられないのである。
多分、「琴浦さん」が一杯集まって、都市部で活躍させたら「とあるシリーズ」になると思う。
逆に琴浦さんが田舎に行けば「咲」になるはずだ。
琴浦さんが「自分とか何か」「人間とは何か」「世界とは何か」を考える必要に迫られたのはサバービアだからこそだ。
そのうち、HTTも、琴浦さんも、あかりも、南三姉妹も肉と夜空も、大人にならなければいけなくなるだろう。
サバービアを脱出して現実に向き合わなくてはいけなくなる。役所に務めるとか、地元の企業に就職するとか、親の後を継ぐとか。あるいは都会にいくか。
その頃には風景が完全に入れ替わっているだろう。脱出して都会に行かなければならない以上、街は高齢化が進み、自治体といったコミュニティを維持する能力も失われる。学校は取り壊されるだろう。遊びにいったプールも、商業施設もなくなっているはずである。商店街は高齢化と大型ネット通販に負けて消失する。人間同様、街も歳をとるからだ。新しい更地に新しい家か建物が建つ。
「ハルヒ」や「まどマギ」の景色をみれば一目瞭然だ。
よくアニメクラスタは「TARITARI」や「ガルパン」の廃校展開に「またかよ」と愚痴を零すけれど、ニューファミリー化が進んでいく世界を描写する以上、廃校は絶対に避けられない景色なのだ。
「TARITARI」では廃校後にマンションが建設される予定だった。
学校は取り壊され、更地になるのである。
僕たちがキョンやハルヒ、琴浦さんや肉や夜空にどうして共感できるのか。その理由の一つは、彼らはサバービアに住んでいるからだ。
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