『たまゆら”もあぐれっしぶ”』の理想的ハイパーリアル
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いや、本当に時間がなくても映画を30分ずつに区切って四日かけて観るとかしてるし。
そのうちこのブログも映画とか音楽のはなしをしだすかもしれん。
んで、ちょい余裕がでてきたので『たまゆら"もあぐれっしぶ"』を観始めた。のだが一話を観ていて「あっ」と思った。一話冒頭、エスタブリッシュメントショットで竹原の名所を連続で見せるシーンがあるのだが、ここに工場と高架下のシーンが二、三含まれていたんである。
僕の記憶では、これまでの「OVA版たまゆら」と「第一期たまゆら」ではそんな風景は排除されていた。
これまでの「たまゆら」はそういうノイズを徹底的に排除してきた。結果として視聴者の間では「竹原」という場所は「たまゆら」で語られる風景と同期していたのではないのか。
少なくとも僕はそうだった。竹原に旅行に行った時に一番に感じたのは「なにもねえ田舎」だった。
海沿いのデカいプラントに「まあ海沿いの現実はそうだろうな」と思い、街外れのフランチャイズ店の繁盛具合に「全体として同じ瀬戸内海に位置する俺の田舎とそう変わんねえ」と感じた。
一言でいうと「アニメと違う」であった。アニメと違ってつまんない俺の田舎と同じじゃんみたいな印象であった。
1980年代、フランスの思想家、ボードリヤールは『ハイパーリアル』という造語と思想を提唱した。
現実のコピーである虚構が現実より価値を持つ時代がやってくると予言したのだ。
ここで「ハイパーリアル」を説明します。知ってる人はすまんす。ポストモダンの時代遅れとか言わないでほしいっす。
例えば。アニメ、漫画でもお馴染みの「メイドさん」であるが、これは中世イギリスの「使用人」を発祥とする。
むろん、色んな時代と形態の「使用人」があるので色んな「メイド」が存在する。
現在、日本のアニメ業界一般に流布しているメイドのイメージに一番近いメイドはヴィクトリア期後期に存在した「パーラーメイド」と思われる。元来、男性使用人が請け負っていた食事の給仕、来客対応、雇い主への手紙、メッセージ伝達、屋敷内の案内を女性が引き受けたものが「パーラーメイド」である。
「パーラーメイド」としての雇用条件は「外見がよい」「背が高い」「要領がいい」「手が綺麗」。
この「パーラーメイド」がアニメや漫画に登場するようになったが、当然、それだけだとおもろくないので、装飾には「ゴシック・アンド・ロリータ」が取り入れられた。この「ゴシック・アンド・ロリータ」とは日本の文化とゴシック趣味が癒合して発生し、アメリカ、ヨーロッパにも拡散した融合文化である。正確なゴシック趣味ではない。
またメイドさんは掃除洗濯料理なんでもござれだが、これは元来、最下層に存在する雇い主に好まれた安月給の「メイド・オブ・オールワークス」という最底辺のメイドの姿である。
ともかく、こういうイメージがごちゃまぜになったのが現在のメイドである。
ところがアニメのメイドがヒットした為にオタクの間では本来のメイド像は価値を失い、アニメで活躍するメイドに価値がおかれるようになった。
メイド喫茶がそれだ。本来虚構の存在であったものが現実世界に「本物」として登場し、価値を得たのである。
さらにアニメやラノベ、漫画では主人公を「お兄ちゃん」と呼ぶ妹メイド、「幼馴染」のメイド、「親友」のメイド、「ツンデレ」のメイド、「武装」メイドが登場する。これに呼応して現実のメイド喫茶でもこれらを模したサービスが実行される。
さらにこれらの「メイド喫茶」を逆に作品舞台に使用した漫画、アニメも続々と登場する。
「けいおん!」の澪がメイド姿で「萌え萌えキュン」をやってからこれを接客のサービスにするメイド喫茶も増えた。
俺もメイドにやらされたよ。萌え萌えキュン! めちゃ恥ずかしかったけど、顔はニヤけてたよね。
もうどっちが現実で虚構か分からない。確かなのは、高度な現実のシュミレーション、虚構であったものが今度は現実世界で本物より価値を持ち始めたこと。これがハイパーリアルである。
えらく脱線した。すまんことをした。
「たまゆら」はこのハイパーリアルに成功している優れたメディア作品だと僕は思う。
僕にしてからが現地の印象が「アニメと違う、自分の田舎と同じ場所でガッカリ」なのだから、いかに僕のなかで竹原のイメージがアニメによって編集され、現実より価値を持っていたかが分かる。
「たまゆら」のハイパーリアルとはノイズを限りなく排除し、装飾を重ねた虚構である。OVAと第一期がそれを如実に示している。
悪いとはいわない。フィクションである以上、表現方法は自由だ。
作品世界をコントロールするのはスタッフの自由である。
ただし、綺麗過ぎる世界もどうか、という意見もある。
その裏を暴く技術が観たくない部分までアニメにしてしまう映像手法「ロトスコープ」である。
ちょっと前、「スキャナー・ダークリー」の過去記事にいきなりブクマがついてビビったことがあるのだが、探ってみると当時放映されていたアニメ「悪の華」の影響らしかった。にゃるほどである。
「たまゆらあぐれっしぶ」に話を戻すと、冒頭の明らかなノイズ映像はなかなかに進歩ではないか。それで「あっ」と思ったのだから。絵コンテの時点で入ったのか、美術スタッフ田尻健一氏の意図なのか、脚本に佐藤順一が記したのか、演出の筑柴大介氏の配置なのか、部外者の僕には定かでない。
しかし全体をコントロールしている佐藤順一監督の選択であることに違いはない。
これは注目してもよいのではないか。
徹底して理想モデルのハイパーリアルな竹原を構築していた佐藤監督が僅かでもノイズをとりいれたのだから。
アニメの理想的ハイパーリアルに崩しをいれている監督は少ない。引退宣言をした宮崎駿が筆頭格だろう。
宮崎駿は児童文学の影響を受けたひとであるので、初期作品では自分の「理想」と「エゴ」を正義の味方と悪役に分担させていた。しかし、「もののけ姫」制作と「漫画版ナウシカ」完結に至って、理想とエゴを区別しなくなったのである。
だから僕は近年の宮崎作品に「左翼丸出し」「ミリタリオタク」「ラストが無責任」「趣味全開」と叫んでがっかりしている人はいままでの宮崎映画になにを観てきたのか疑問に思う。
アニメ「ナウシカ」ヒットの直後でさえ、アメリカのエコロジストと一緒に「人類は数を減らした方が自然が増えていいんですよ」と意気投合するばかりか、逆にエコロジストに「あなたは冷蔵庫あったほうがいいっていうけど、甘い。僕はないほうがいいです」と言いきったのは有名である。
ともかく、そういう性格だから素晴らしい「カリオストロ」や「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」が制作出来たのである。
この作品のヒーロー、ヒロインの垣根をとっぱらって人間のエゴ丸出しのヒーロー、ヒロイン、世界観を丸出しにしたのが、完結した「漫画版ナウシカ」を含む近年の宮崎作品なのだと思う。
こういうバイアスをとっぱらうという力技をざっくりやってしまうアニメ監督は珍しい。
宮崎にがっかりしているひとは僕が「たまゆら」の竹原にやられたように、映画とマスコミが作りだした「宮崎駿」というイメージにやられたのかもしれない。
佐藤順一は1960年生まれ。現在、50代である。これまで「セーラームーン」や「どれみ」「チュチュ」「AIRA」と現実にバイアスをガンガンにかけて、理想的世界のハイパーリアルを制作してきた監督である。
「セーラームーン」や「どれみ」がオタクのコスプレや後続のアニメ、漫画に与えた影響は推して知れ、である。
ハイパーリアルを地でやってきた監督なのである。自身についても「アニメ屋」という揶揄を誇りにしている。
竹原のノイズを取り入れたのは第一回だけかもしれない。今後のアニメではノイズを排除するかもしれない。
しかし、今回ノイズをあえてソフトな形でも取り入れたのはすごくいいことだと僕は思う。
工場も突き詰めればハイパーリアルである。しかし一般的に工場が纏っているハイパーリアルとは不穏なイメージの塊だ。
工場はいわば「徹底管理されたディストピアの縮小図」である。
例えば「まどマギ」では不穏なシーンにおいて必ず工場地帯や建設現場、都市部で物語が展開する。逆にほのぼのとしたシーンには森林が背景にあった。
工場のノイズをサンプリングして加工し音楽に取り入れるインダストリアルメタルとは、資本産業のディトピアに対する反抗である。
前述した宮崎駿作品ではこれが顕著だ。文明社会は不穏な場所であり、自然は心休まる場所でとして扱われている。
ところが「もののけ姫」以降、宮崎作品は不穏のイメージの象徴である「たたら場」や「売春宿」「戦場」のイメージを「自然」とごちゃまぜに扱いだした。「ハウル」では文明社会と自然は魔法の扉一枚隔てているだけである。
さらにハウルの愛する自然の風景にさえなんの前触れもなく、戦闘機が挿入される。
この予兆は「紅の豚」から既にあった。「ナウシカ」でさえそうである。しかしまだこの時点ではきっちりと区分けがあったように僕は思う。
宮崎作品とは「世界は素敵だから意味がある」から「世界は嫌なものでも意味がある」の流れであったように僕は思う。
児童文学のひとであるから、こういう「世界全てに意味があります」という動きは当然かもしれない。
初期宮崎作品のように「世界は素敵だから意味がある」という主張を繰り返してきた気がする佐藤順一監督。
「たまゆらあぐれっしぶ」を五話まで観たけれど、一話以降、ノイズは排除されたままだ。
だけれど、「素敵な世界」にノイズを僅かでも取り入れたとかそういう観点でみると、佐藤監督が今後どうくるのか、ちょっと面白いかもしれんよね。
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