ゴーゴー! フィリップス船長!『キャプテン・フィリップス』

キャプテンの責務 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

キャプテンの責務 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ナイスですよ。
ブレてないオヤジ、ポール・グリーングラスというのも、なかなかに貴重なのではないかと思いましたですよ。

キャプテン・フィリップス』にてポール・グリーングラスの実話系、四作目である。
なぜそこまで……と思ってしまうのであるが、グリグラはあくまで「現実の再編集」に徹底する。

いきなりだが「グリーンゾーン」ではブラックホークは当時軍用で撮影に使用不可だったのでヒューイを使ってからCGでそれっぽくつくりかえたそうである。「グリゾン」のモチーフになっているグリーンゾーンも撮影当時はほぼ跡形もなく消えていたのでイギリス、スペインやモロッコなんかで撮影したものにやはりCGを施しているとか。
政治的、物理的に本物では撮影できなかったのでこのオヤジは別の場所で当時のバグダットを執拗に再現したのである。
バグダットの夜間炎上シーンもしかり。
当時イラク空爆のニュース映像は夜間撮影が多かったために多くの人間が「ゲームみたい」「ヴァーチャル」などと揶揄したものだが、「グリゾン」ではそれを避けるように、手の込んだCGを使って「生っぽい」夜間の炎上を描いている。
そもそも「ユナイテッド93」だって本物の「93便」はもう存在していない。ビルに突っ込んだんだから当然だ。
あの映画すべてが執拗に再現された完璧なニセモノなんである。
さらに説明は不要だと思うが、グリグラ以前、グリグラ以降と言われる程に、このオヤジは疑似ドキュメンタリーの手法を独自の方法論で突き詰めた撮影手法を確立させた。
もはや「フィクション」という枠をやや逸脱させるような「現実の再編集」に対する執着ぶり。

この「グリグラ流の現実の再編集」手法でグリグラは「ユナ93」と「グリゾン」では米軍抜きで、あるいは米軍に頼らず、あるいは米軍と鬼ごっこをしながら「己の意志で物事を貫徹させよう」という人間の迫真性を浮き彫りにすることに成功した。
つまりこの二作には生々しい人間賛歌が絶えず劇中の底に流れることになるのだ。
その効果は絶大で「ユナ93」のテロリストですら例外ではなくなってしまう。
テロリストが己の腹に自爆用の爆弾を巻きながら、コーランの一節をすがるように唱える姿をブレるカメラが捉えた瞬間、僕は「彼らにも彼らなりの信念があるんだなあ」といいしれない苦痛に顔をゆがめさせられた。
撮影はバリー・アクロイド。「ユナ93」「グリゾン」そして「キプフリ」とグリグラとは付き合いが長い。

グリグラはずっと「実話系」というフィクションのなかで「嘘を嘘の中で本物らしくみせる」というフィクションのルールのひとつを自分なりの方法で拡大してきた。
そして、近年における「実話系フィクション」としては最上級の成果を叩きだしたのだ。


キャプテン・フィリップス』である。「ブラッディ・サンデー」「ユナ93」「グリゾン」同様、実際にあったはなしなのでネタバレもなんでもない。
リチャード・フィリップス船長指揮するコンテナ、マークス・アラバマ号がインド洋に属するアデン湾でソマリアの海賊に襲われる。フィリップスの要請を受けてアメリカ政府が動き、救出作戦が進行する。ソマリアは内戦状態で政府が機能していない。
フィリップス船長及び船員たちは、アメリカ政府の救援まで自力でしのがなければならない。

トム・ハンクスが好演、というか本当に好演である。分厚い眼鏡をかけた世の中の動きにいまいちついていけない海運業のオヤジ、フィリップス船長。航海と船の指揮にかけてはベテラン中のベテランだが、それだけである。
職人気質ではある。だがこのハンクスはイケてないのかイケてるのかよく分からない。海賊に捕縛されてからは絶えず眉尻をさげて苦しそうに息をしている。
しかして航海にかけてはベテランである。この親父、目につくありていのものを片っ端から利用して海賊に立ち向かう。
散水栓で放水して海賊船を威嚇する。信号灯で海賊のAKを牽制する。通信機器のフェイクを装って米海軍と連絡しているように海賊に錯覚させる。ハンクス以下、乗組員も手慣れたもので、とにかくありていのものを使って海賊と闘う。

海賊はソマリアの貧民である。海賊といっても独裁者の末端に過ぎず、海賊行為も日雇いの肉体労働と大差ない。
いくらガメようがピンハネされる。だから、せめて自分の取り分を多くしようとハンクスからせびろうとする。
でないと彼らは喰っていけない。それだけにこの海賊たちもベテランである。ハンクスに負けず劣らず、自分たちの領域にあるものはなんでも利用する。

この両者の、生き延びる行為が拮抗するのが『キャプテン・フィリップス』である。

一方、アメリカ政府はショボい。MTOもUS海事局もいまいちあてにならない。
終盤、米駆逐艦、SEALs、米空母が海賊を取り囲んで威圧するが、その圧倒的な姿とは対照的にスクリーンから漂う雰囲気には救い主としての爽快感がない。
むしろハンクス演じるフィリップスの精神的、肉体的苦痛と海賊たちのやはり精神的、肉体的苦痛が画面を圧倒する。
海面に併せて揺れるカメラの演出も手伝って画面内には常に息苦しさが充満している。
ハンクスも海賊も己の意志貫徹の為、ギリギリのラインを二時間半ぶっ続けで突っ走る。そのシークエンスを経ているからこそ、僕は中盤から「海賊にも事情があるんだなあ」と有無を言わさず納得させられた。
グリグラは安易に「敵」「味方」と関係を分断しない。そのくせ、両者のバックボーンをあまり説明しない。画面の登場人物たちの行動を観る、ただそれだけで僕は登場人物全員のいいしれない事情を我が身のように感じる。
「ユナ93」でテロリストたちに感じたものと全くの同種だと思う。あれも乗客とテロリストの逼迫した事情は死ぬほど味わった。反面、アメリカ政府はヘロヘロに描かれていた。

オチは分かっている。フイリップスは救出される。モノホンのフィリップスは生きている。海賊に襲われた時の体験を綴った『キャプテンの責務』も出版した。この映画はこの原作がもとになっている。テレビや映画雑誌で散々宣伝されている。
「ブラサン」「ユナ93」「グリゾン」と全く同じである。93便は助からない。大量破壊兵器は存在しない。
僕たちは観る前から既に結末を知っている。
しかし僕は、すくなくとも僕は「キプフリ」の画面にくぎ付けになった。
「フィクション」だと知っていながら「フィクション」の世界から目が離せなくなった。
ぼくは映画を観ている間中、事件が起こったその瞬間に居合わせたと思いこまされていた。

「実話系怪談」が一時期猛烈に流行った。いまでも書店で「実話系」を謳った怪談本を目にする。
実話系怪談はその場で喋っている語り手が存在している以上、オチはほぼ判明している。
体験主は現実離れをした恐怖を体験しながらも、生き残りましたとさ。他の例もあるが雑なまとめかたをすると、これが実話系怪談である。
では実話系怪談のキモとはどこにあるのだろう。

この映画を観ている間、僕は次々と起こる出来事を処理していただけに過ぎない。
しかし目の前でシークエンスが明晰に処理されていくと、それらはやがて強烈な認識を生む。
つまりこれが登場人物の動きを追うだけという状態で彼らのバックボーンを認識するということなのだろう。
グリグラの編集技術に舌を巻く。編集の共同作業をおこなったのはクリストファー・ラウズ。「ユナ93」「グリゾン」ついで「ボーン・スプレマシー」「アルティメイタム」の編集にもかかわっている。
また、グリグラは「キプフリ」撮影にあたってなるべく本物に近い船を使ったそうである。海賊もすべてソマリア系。海軍は本物。徹頭徹尾、海の上だけで撮られたので画面は常に小刻みに揺れ続ける。
グリグラは今回も「現実の再編集」にこだわった。その結果がこの認識を生んでいるのだと思う。


ところでこの映画、船がかっこよく撮られている。メインの舞台が船なんだから当然とはいえ、ツボを心得ている。
僕が感じる船のカッコよさとは「こんな巨大な鋼鉄の塊がよく海に浮かんでいるな」という圧倒感である。
実際にコンテナ船、駆逐艦なんかを間近でみたひとなら分かるだろうが、この圧倒感によって巨大船はどんな角度からでも威圧的なかっこよさを放つ。グリグラの撮り方も絶妙である。救命艇かっこいい。

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