伝説の『GODZILLA ゴジラ』を観て来た。

感想を書く前にネタがかぶらないようにネットを色々回ってみたのだが、見事に炎上してたりするサイトもあったりして、無難なところだと、ブクマが全くついてないとか。褒めても貶めても炎上したりして、日本人の映画マニア、特撮マニアをものすごく感情的にさせるゴジラ
ただ、やっぱり「日本のゴジラへのオマージュ」っていうのがある限り、この映画は若干年齢層高めに設定されていて、そういう文化背景を持つ人たちのノスタルジーをくすぐる装置として機能している側面は否定できんのじゃないですか。
言う事は特になし。微妙派の意見も納得出来るし、絶賛派の意見も納得できる。

唯一つ納得出来ないのは、レジェンダリーゴジラを絶賛している一部の人がエメゴジを貶していること。
レジェンダリーはそりゃ、丁寧に作ってありますけど、怪獣プロレスを除いてエメゴジと要素は同じだと思う。
全然違うよ! っていうひとはエメゴジに何を観ていたのか。僕は随所に置いてレジェンダリーはそんなにエメゴジと変わらないと感じました。

悪夢みたいな映像はすごく良かったし、米軍の描写にしろ、演出方法にしろ、こういう肝心の細部がエメゴジがいけてないのは分かる。でもこれはエメゴジが取り零した往時の特撮へのオマージュでしかない。それが大事なんだよ! っていうのはノスタルジーです。確かにノスタルジー趣味がしっかり設定として機能している部分もある。だけど単なるノスタルジーにしかなっていない部分もあると思う(サービスです)。それを支持し、絶賛した時点で、そういう視聴者のノスタルジーに奉仕するのを目標の一つにしてゴジラは作られていることを裏打ちしている。面白い、ではなく、観た人たちが自分たちが守るべきだと感じていた項目をレジェンダリーゴジラがしっかり守っていただけ、と言う事になる。(そしてそれに反応するようにレジェンダリーを貶すひと達はこう主張する。「自分たちが守るべきだと感じ設定していた課題をレジェンダリーゴジラはクリアしていない!」)そういうノスタルジーを保護する、という点では確かにレジェンダリーはエメゴジより目標を達成しているし、立派なのもしれない。
だけど、レジェンダリーゴジラが霊感に触れる観たこともないような映像に横溢しているとか、所々ひっかかる部分があったけど、それでも監督が持っている映画の文法に沿って撮られた独自の映像だと痛感したかといえばそうではないでしょう。
映像面でもシナリオ面でも一般受けする為に通俗性をまとっていた点ではエメゴジと同じな筈です。

そもそも現代のゴジラという大衆映画はそういうものです。

ともかく、それ故に、そんな、エメゴジをバカにせんでええやん。とか観終わった後はエメゴジを擁護したくなる映画でした。
少なくともエメゴジは近年の日本のゴジラが見逃していたものを不器用ながらも掬い取っていたはず。
今月はこれ一本語ろうかなと思ってたんだけれど、まあ、そこまでは……。エメゴジがあるから……。

もし数年後、同じ文法でより優れたゴジラが作られた瞬間、今回のレジェンダリーは「あのゴジラもよかったけど、今度の方がもっとすごい。僕たちが設定している課題をよりクリアしている」という扱いになってしまうかもしれません。というか僕にはそういう予感がある。
そもそも通俗性をまとっている時点でその束縛からは逃れられない。
なにもエンターテイメントにそこまで求めなくとも……と言えばそうなのですが、だったらエメゴジをそんなに悪く言わなくてもいいですやん、という話です。

あのゴジラの咆哮は『ゴジラ』というジャンルの枠を保障してくれる産物なのだ、というのを確信した映画。
アメリカで資金たっぷりに作られようが、日本が脱力気味のものを作ろうが、全盛期のゴジラをディスクで観ようが、あの咆哮がある限り、僕らは『ゴジラ』という無国籍な存在が主人公のジャンルに、無条件に感情を動かされてしまうのである。あの咆哮さえあれば、どの国で作られようがゴジラという存在は(出来は知らないけれど)保障されるのである。そして今回のゴジラの咆哮のシーンは主人公と視聴者の目と鼻の先で行われるという「怪獣映画」の魅力に満ちたものだった。

『トゥームストーン/リベンジ』
俺の中にはダニー・ドレホという映画のジャンルが存在し、故にドレホの映画は見掛けたらなるべく視聴せねばならんのだ。
最初の三十分の設定を全部捨てて悪魔の手によって蘇ったドレホが自分を死に追いやった仲間への復讐を始めた瞬間からこの映画は面白くなる。
金塊とか、街の退廃の具合とか、二十四時間以内に復讐を果たさないと悪魔との契約に反するとか、砲口は三つあるマグナムとか、なんか気になるガジェットがあるんだけど、それはどうでもええねん! みたいな感じ。
MTV風(トニー・スコット風)の映像表現方法もなんというか、映画のフォーマットの一つになってきているような気がする。
ところでこの映画、悪魔をミッキー・ロークが演じているのだが、全然意味のないシーンでもロークが出てきたりする。
ロークは一時期調子に乗って映画界を干され、どん底の人生を送り以後心を入れ替えてどんな映画にも出演するようになってからは(だから『レスラー』はローク自身の映画だという指摘が多い)ロークを観て育った監督にバンバン採用されるようになったんだけれど、これもそのうちのひとつなのかしらん。
ダニー・ドレホとか、ミッキー・ロークとか、アンソニー・マイケルホールとか、ええ顔のオッサン、爺が沢山出演している映画。いい顔した親父の映画ですわ。

K・W・ジーターのやつでない
ブレードランナー2』の脚本が完成したらしいが、まだ極秘らしい。監督は前作と同じく一応リドスコ。一応ってのは変更があるかもしれんから。
となればやっぱり気になるのは脚本ではなく、未だに映像カルチャーに影響を与え続けているような素振りを見せている2019年のL.A、リドリーヴィルがどう扱われているのか、変化しているのか、いないのか。サイバーパンクは自嘲気味に扱われたり、ある種のノスタルジーを伴ったり喚起させる装置になってしまった感が否めないのだが、まだ現役でいけるような気はするんですよ。この映画がサイバーパンクかどうかは知りませんよ。イーガンあたりのポスト・サイバーパンクだとスピバの『マイノリティ・リポート』にあたりになってしまうので、どうなんでしょうか。

ドカメシ大盛り
一迅社から復刊された渡辺保裕の『ドカコック』が結構再読率が高い漫画になりました。手元に届くところに置いてあるの。
俺、食い物を食べている漫画ってあんまり買わないんですけれど、買うと結構再読する。『まんが道』とか何度も読んだのもメシのシーンが多かったからだと思う。
少年画報社とか講談社とかで鰻丼とか天丼奢ってもらったり、ラーメン食べたり、トキワ荘で宴会するときはツナ缶とキャベツ切ったの炒めたりとか。

テラさん「フランスパンを縦に切り、コロッケを挟むだけで食事になるのだ」
ミチオ「さらに値段も安い……さすがですわ、テラさん!」
テラさん「しかも手を汚さずに食べられる」
ミチオ「まあ……では、設計の段階で漫画家向けに考案されたのですね……!」

Rebisの『あにめたまえ!』一巻が届いた! 
知った切っ掛けはwebかツイッターなのか忘れたんだけれど、とにかくRebisが『自分の作品のセリフを許可なく差し替えられて出版されている状況に疑問を感じた』というものすごくバカな理由で商業雑誌から『あにめたまえ!』を撤退させてどうにか自費出版出来ないか、どこかで連載を継続できないかと模索し始めた、という本来ならそこはぐっと我慢して、大手雑誌で連載を続け、ノベライズ企画やアニメ化なりを並行して行い、日本経済の回復に資するべき漫画家の使命を放棄した行動をとったのを知って「あ、すごく商売が下手なひとだ」と思って気に入って追いかけはじめました。
反体制的な事をネットで熱く語りながらも、一方ではどうにもならない社会の愚痴を並行してだらだら綴ってRTしてるポーズだけの連中と比べて(僕も含む)、マジで生活をかけた漫画家の行動をしているので「うぉぉ」となってしまった。百合だし。
しかしそんな反体制の漫画家としてアイコンに成り得るかというと、いまいち恰好悪くて、垢ぬけなくて、なりきれない。ネット越しに見る限り、そういう人懐っこそうな、人の良さそうな方です。
Rebisとしては妖怪学を前面に押し出したいのであるが、もうひとつ萌えが勝ってしまってその辺を訴えられない不器用な部分も見受けられるのだけれど、そこは改善の余地は十分にあるし、ちょっとどう出るか分からない作品です。群雲斬江さんが変身すると余った腹と腰の肉の部分がはみ出ていて、すごく好きなんだけれど、すぐに負けてしまうので、もうちょっと斬江さんの活躍がなんとかなりませんか。
僕は同人通販経由で買ったんですけれどアマゾンでも買えるようです。ムチムチパッツン系が好きなひと向け。ニトロプラスがメディアを活用して前面に推しスマッシュヒットした『そに子』みたいなぽっちゃりアイドルをRebisが一人で頑張って売り出そうとしている感じっていえば分かりますかね? 百合なので百合っぷる二人のアイドルユニットが主役なのですが。特典冊子を見る限り、友人の深見真や、六人もの作家が寄稿したりして色んな方が応援されていますが(商売下手はやっぱりバカ正直な分、好かれると思う)漫画っていうのは個人の作業なので。
興味を持たれた方、好みが極端に分かれる絵柄なので、このサイトに連載されている本編を参考にして下さい。
多分「こういう絵はあんまり……」という人と「あ、これは凄く好みだ!」って両極端に分かれると思うので。

『あにめたまえ! 天声の巫女』

あにめたまえ! 天声の巫女 第一巻・特装版 【初回限定版セット】

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たまこまーけっと』の見てなかった最終回を観た。
普通にいい話だった。これで映画版が評価高いとハードル上がる。EDの『ねぐせ』を買ったのだが間奏が長くて語りセリフがあるアニソンはカラオケで歌い辛い。