妖神グルメ『だがしかし』

エンタメという分野は受け手を第一に作られている。故に煽情的で下品であるとか、厨二であるとか、もしくは俺TUEEEでしょwwwとか見下されながらもヒットを飛ばしているものが沢山ある。作者が入念に全力を賭けて作っているからである。それも舞台裏で。こそこそと。観客の目に映らないように。
そしてあとがきでは愛想を振りまき、読者や視聴者より腰を落とす。

「気に入りましたでしょうか?」「彼らの冒険はどうだったでしょうか?」「これから主人公と一緒にビッグになっていこうと思うのでよろしくお願いします!」

面白い物語を見せつけられて機嫌がいい読者や視聴者はこの時点で完全にお釈迦様の掌の上である。さらに作者は頭を下げているのだ。
「これは物語を更新している!」「零年代のサヴァイヴァリズム!」調子に乗って喋り倒す。
あるいはもっと図に乗った受け手はこうも言う。「ここはさ〜もっとこうしたほうがいいんじゃねえの〜」「これはちょっとおかしいんじゃねえの〜」

こんな事をいう時点で完全に踊らされている。何故なら本当にどうしようもない作品だと怒りが湧くか、読んだり視聴を続けるのが苦痛になって無視するしかないからである。
こうなるといやいやながらも消化してせめて珍作としてツイッターかブログ、タンブラーかnoteあたりでダイジェストを書いていじり倒すしか手がない。

菊池秀行や夢枕獏は努力を隠さない自画自賛タイプである。あとがきには必ず「これで面白くないはずがない」だとか「自分で読み返して傑作だと思った」だとか平気で書く。翻訳家の平井呈一もそんな感じだったと思う。デニス・ホイトリーの『黒魔団』を翻訳し出版社に持って行った時に「いや〜読み返してみて面白いし、俺の翻訳もすげえよな」とか若い編集者にそんな事を言っていたような気がする。


少年サンデーコミックス。著者、コトヤマの『だがしかし』である。上記のようなものを書いていながら、僕が語り出すと言う事は、面白いのだ。エンタメとして。全力で。
踊れ踊れ!

親父が経営する田舎の駄菓子屋の一人息子ココノツ。彼には夢があった。漫画家になって田舎を脱出するのだ。しかし彼は自覚こそないものの世界を改変しかねない能力の持ち主だった。彼の能力は駄菓子屋の経営能力。
親父は息子の才能を見抜き、駄菓子屋の跡を継がせようとする。しかしココノツは激しく拒否する。そこへある日、謎の美少女が駄菓子屋に訪れる。
少女の名前は枝垂ほたる。巨大製菓メーカー、枝垂カンパニーの社長の娘である。何故、ほたるはこんな田舎の駄菓子屋にやってきたのか? それも見目麗しきおっぱいの大きな美少女の身一つで……?

要するに駄菓子のグルメ漫画である。延々と駄菓子の講釈をほたると親父が繰り広げ、ココノツが突っ込む。それだけだ
しかし何故かこの漫画はとても面白い……! 読んでいて気持ちがいいのだ!

台詞回しがうまい。必要最小限度に抑えてある上にリズム感がよい。この漫画、駄菓子の薀蓄が大量にあるのでコマがネームで埋まってしまうことがあるのだが苦痛にならない。重複する言葉を避けたり、必要以上に難解な言葉は避けて分かりやすくエモーショナルに喋っているからだ。

コマがうまい。ネームで埋まりがちなコマではあるが、そこからキャラが排除されることはない、むしろ薀蓄を喋っている間は無駄なセリフは排除し、キャラの描写で心理や状況を説明している。このあたりはネームに限らず、衣装や「駄菓子」、あるいは舞台と密接に結びついている。セリフや振る舞いが生き生きとしているので「ああ〜こいつだったら、こんなテンションと身振りで、こんな場所でこんな事いうかもね〜」みたいな雰囲気に満ちている。キャラ立ちが尋常ではない

ケレンミとしたたかさがある。お菓子をおっさん顔に擬人化して解説したりする。単純に笑える。一方でおっぱいの大きなほたるの胸に溶けたアイスを垂らして胸をスケさせたり、胸の薄いツンデレの幼馴染みをだして可愛くデレさせたりする。幼馴染の乳首が微妙に隠れたシャワーシーンもある。
なんだかんだいってもおっぱいは強い。男も女もおっぱいは好きだ。男なら尚更だ。おっぱいを少年少女の読み物に出すのはけしからんと言いながらも、お前だって結婚して子供産んで「いい大人」を演じる前は彼女のおっぱいを揉んで子作りしたはずである。その前は絶対おっぱい写真やおっぱい映像でシコっていたはずである。よもや下品なポルノを避けてバニヤンルキアノスでシコっていた訳ではあるまい。
おっぱい否定は現実を直視していないだけである。偉そうに『まどマギ』でマミさんの行為を貶そうが彼女のおっぱい同人誌を読んでいるか、あるいはおっぱいを揉む妄想くらいはしている筈だ。まどかを否定しようが、ほむらを否定しようが、いちゃいちゃして胸元を手で弄り、乳首を舐めあい激しく情を交わして口付を繰り返しながら呂律の回らない声で互いの名前を連呼し合う二人を見てなにか感じるものがあった筈だ。
……あれ、そういうシーンはなかったっけ……。

絵のタッチも独特で僕は空恐ろしいものをコトヤマから感じる。このセリフのセンスで絶妙な構図を駆使し、キャラ立ちの上手さでこのタッチ。他のジャンル、例えばアクション漫画をやらせてもまず、外れるような真似はしないはずだ。荒いタッチは暴力性を孕んでいる。この暴力性は『だがしかし』ではギャグの病的なテンションとエロスに微妙なバランスで結びついている。『だがしかし』は汗をよくかく。熱弁を振るい、顔が上気し湯気がほんのりと立ち昇るかのようだ。
この臭い立つような体液はエロティシズムと化して読者との距離を縮める役割を果たす。

だがコトヤマはアクション漫画ではなく、駄菓子グルメ漫画を描くことを選んだ。ここには何か理由があるのかもしれない。ないのかもしれない。
コトヤマの技術ならもっとハイブロウな漫画も描ける。しかし彼は全力でエンタメを書くことを選んだ。なぜなのか。コトヤマと彼の担当にしか分からない。
コトヤマは一巻のコメントでこう述べる。

『初の単行本なので嬉しさと緊張と色んな気持ちが混ざって変な感じです』と謙虚に腰を下げる。一方で『『だがしかし』、なかなか良いタイトルなのでは? と思っています』と自画自賛する。コトヤマの本当の気持ちは誰にも分からない。恍惚と不安と、誇りと、他にまだなにかがコメントに隠れているような気がする。

それがなにか分からない。

ただ一つ言えるのは漫画界に貴重な人材がまた一人増えたということである。

初版の初動数は少なかったようである。僕も発売日は本屋を梯子した。しかし十月頭の現在、早くも重版が決定している。

ところでこの漫画、少年サンデーコミックスなのでサイズが新書サイズで小さい。これが欠点である。僕はこれが非常に悔しいというか不満だ。
値段が安いのだが僕は『だがしかし』をカネを払ってもいいので大きなサイズで読みたい。せめて18 x 12.8 x 2のサイズが欲しい。『だがしかし』はキャラの動きに躍動感があるので、新書サイズだと目線が走り過ぎて本の上から滑り落ちることがあって読んでいて時々イラついた。
後、エロティックでバイオレントな魅力的な絵柄なのに、このサイズでは満喫できない。これもじれったくて滅茶苦茶イライラした。
これはもうサンデーを購読するしか手はないのかもしれない。
そんな魅力に溢れた痛快なエンターテイメント漫画である。

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