同人戦士

BDBOX発売!
観測範囲内での話なのだが最近、アニメのBDBOXの惹句に「十周年記念発売!」とかあって恐れ戦く。おっさんなのでひゃー、十周年経ったのかーみたいな恐怖感を煽られるだけで購買欲はあまり湧かないので勘弁して欲しい。
「アニメ十周年」と同量に「○○さん死去」をよくニュースで見かけるのだが「○○監督死去BOX」とかないのだろうか。不謹慎な気がするが偉人の死去は往々にして再評価する絶好の機会なので、CSとかは割とさらっと○○監督没後何十周年企画、○○監督作品連続放送とか頻繁にやっている気がするのだが。

林檎の戦略
洋楽の事など露程も知らない友人がU2やコールドプレイの名前を口にしたのでAppleの戦略は怖いなと思った。

ファックオフ
ブックオフの全店舗を巡っている有名なひとが「ブックオフに行く客層と古本屋に行く客層は違う」とかpostしているのを見て某大手古本屋の店主が「うちに来るお客さんはブックオフに来るお客さんとは違うんで、ブックオフとかが敵になるっていうのはちょっと違うんですよ」と言っていたのを思い出してぼんやりと考えている。随分と昔にブックオフが台頭しはじめた頃、小売店の店主がブログでブックオフへの愚痴を述べて「ウチの店はこういう対策をとってますよ」みたいな記事を書いているのを読んだ記憶があって、ブックオフは書籍業界の悪、みたいな印象を受けたのだが。いや、僕もブックオフは利用しますよ。

まあ、表層的な部分をとっても古書店にしか置いてないような本はブックオフには置いてないよね。ベストセラーあたりしか本を読む時間がない層がブックオフを頻繁に利用している、みたいな傾向はあるような気はしますが。

ちなみにブックオフにいく客層と古本屋にいく客層っていうのはどこで分水嶺が決まるかというと、古本屋に置いてあるけどブックオフに置いてない本って言われて「ああ、あのあたりの本だな」と咄嗟に思いつくのが古本屋を利用する層で、ブックオフを利用する客層っていうのは「本は大体全部一緒だろ」と考えてる層だとか、欲しい本はブックオフに通っていれば割かし簡単に集まる層だと思えば……すごく乱暴な思考だけど……。
後、サンリオSF文庫やソノラマ海外文庫シリーズが千円以上するのが古本屋で、それらがたまに百均で手に入るのがブックオフだという基準もある。

那智
和歌山に旅行に行ってきた。那智勝浦。太地町。田舎ゆえに高速が途中までしかないので、下の険しい道や海岸線沿いを延々と走っていたイメージが強い。なんだか異常に民宿と「那智黒飴」の看板があったような気がする。那智黒飴って那智の滝から来ているのね。知らんかった。一応重巡那智の名前の元になっているので『艦これ』の聖地と言えんこともない。
ところで、イルカちゃんの捕獲シーズンなのだが、以外と太地町那智勝浦の料理屋ではイルカ料理は皆無で、鯨推しであった。
某店の店主にその辺をさらっと突っ込んでみると、以前は出していたのだが、捕獲反対運動の気運高まった頃からイルカ料理を出すと「食べログ」とか「るるぶ」あたりの評価に反イルカ捕獲らしきひとがあまりよくない点数をつけるので、自然と店の評価が下がってしまい、遂に根負けして出すのを辞めてしまったとか。このあたりを勝利ととるのか、自分の意見を他人に押し付けて他人の行動を無理やり変えさせるのに成功したのかと考えるかで色々ありそうな気はした。
一時期アジア系のドラマを某放送局が流したのに閉口した層が、テレビ局に文句を言うのではなく、スポンサーの石鹸会社の商品の悪口をアマゾンに書きまくったというのが問題になったのを思い出しました。

『くじら博物館』に行ってイルカショーと鯨ショーを観て、イルカ水族館ですごいイルカと鯨に萌えたのだが『くじら博物館』に展示してある鯨の心臓とか鯨の胎児のホルマリン漬けなどに恐れ戦く。あと「くじらの耳くそ」をばーっと年齢順に並べるのもなんだかなあみたいな感じだった。
基本的に昭和に作られた頃から変更がないので感覚が昭和そのままでショックで受けた。僕らが如何に消毒された世界に住んでいるかという証左みたいなものか。
鯨捕獲前の漁師の踊りを記録した映像が流れていたのだが、昭和初期か大正あたりの映像で、そういった「昔の白黒映像」に特有の悪夢感が色濃く、なにか別世界の出来事を観ているようだった。
鯨の身体から取れる色んな材料一覧表があったのだが頭部に「脳油」と表記してあったりしてホルマリン漬けや耳くそ「昔の白黒映像」など、なんだか博物館ではなく見世物小屋みたいな印象を受けた。
外観はボロイのだが中身は意外と生々しい『くじら博物館』。出来ればあの状態と姿勢で運営を続けて欲しい。

社会
あまり社会的な事を書くと色々変なひとがくるので、この辺でやめとく。

キミイロ少女
百合漫画をまた色々買う。未幡の『キミイロ少女』がすごく純度の高い百合でよい。あまりにも狭窄物がないので新書館の『ひらり、』と『ほうかご』を経由して最終的に単行本リリースは一迅社百合姫コミックスってなったのは、あまりにも百合百合しすぎているから売り上げが見込めないので、百合業界大手の百合姫コミックスに単行本発売を委任されたのではないかと勘ぐるくらいに純度が高い。百合ファンにはお勧め。
しかし、百合ブーム的な言説を時折ネットで見かけるけど、女の子同士の機敏をただ延々と描写しているだけの作品っていうのは普通のひとにとっては一冊全部読むのは苦痛なのではないかと思った。大ヒットした『マリみて』でも最低限事件は起こるもんなあ。『悪魔のリドル』も完全にレズ共の祭典だったけど、あれもものすごく色んな要素が入ってたじゃないですか。
文学の古典のバルザックにしろ、ディケンズにしろ、ドフトエフスキーにしろ、映画的なビジュアルを喚起させる描写があって、ばしばし事件が起こるものなあ。

四宮ひまわりちゃんを可愛いと思っているひとの感想。「四宮ひまわりちゃんは可愛い」
ビビッドレッド・オペレーション』全話観た。ちょうおもしろかった。このまま終わらせてはいけないので、新しい敵を設定するんだ! 久しぶりに終わってほしくないアニメだった。

別の可能性の世界って設定はれいちゃんを盛り上げる為のガジェットなので、そのへんをもにょもにょ言うのはどうかと。
あと、女の子たちに世界の命運を全て任せていいのか! その辺も考慮しろよ! って意見もいけてない。
ミクロがマクロに繋がっていくダイナミック感がないっていうのもミーハー的思考を変に崇めて信奉し、神輿に担いでいる感が否めない。
他の同時代の作品がみんなその設定で盛り上がってるんだからお前も自分のアプローチで提示してみろ! みたいな意見で作品を腐すのは作品に対してDV働くようなもんじゃないか? 
文脈を論説の拠り所にしているのなら尚更。
なぜならあかね達の役割は世界の平和を維持するために戦う善のヒロイン、敵は世界を脅威にさらす悪と、ストーリー上完全に決まっているので、この意味で『ビビッドレッド・オペレーション』はヒロイック・ファンタジーの文脈にかちっとハマるからである。「別世界の可能性」も「敵と戦えるのはあかね達」「局所的に行われる戦争」もストーリーに加速度を付ける設定であってそれ以上のものではない。別に代替えが効くものなのだ。れいちゃんは宇宙人でもいいし、あかね達だけが戦う理由や、ミクロ視点からマクロ視点への移行は、例えば今使用されている兵器は全て示現エンジンの性能にはかなわないので、国連は一時的にあかね達に任務を委託していて、後から参戦する予定である、みたいにいくらでも付属可能な範囲内だ。むしろ少女たちに世界の命運云々を言い出すと、ヒロイック・ファンタジーの文脈の論点から作品自体が外れてしまう。
素人のぼくでもこれくらい思いつくんだから、設定の時点で製作者達はエゴを後回しにして作品にすべてを捧げている。ヒロイック・ファンタジーの文脈をすごく大事に扱っていたはずだ。だとするとヒロイック・ファンタジーの文脈から論点をずらして我田引水な持論を広げている時点で、むしろ文句を言っているひとはヒロイック・ファンタジーの文脈をないがしろにしているんじゃないか?

もうチョイ追及すると『ビビッドレッド・オペレーション』は最初から少女が世界を救うとか、物語のダイナミクスや別世界の可能性をメインテーマにして問題提起をしている訳ではない。それは第一話を観ればはっきり分かるはずだ。一話で製作者はちゃんと意思表示をしている。敵に苦戦するあかね達が国連軍かなにかの戦闘機を軽く持ち上げて空母の滑走路に着地させるシーンがあるが、この時点で、少女に世界の命運をなんちゃら、一般市民がヒーローになる可能性うんたらは入る余地がない。味方の戦闘機を軽く扱えるあかね達でさえ苦戦する敵なのだから、ここに他のヒーローが入る余地はない。ついでに最終回ではバトンタッチのように合体変身のシーンが連続する。この時点で完全に「少女たちの局地的な戦争」と明言し、体現している。こういう映画や漫画、アニメを鑑賞する際に必要不可欠な「映像やセリフから何かを読み取る」行為を完全にすっとばして論説を繰り広げられても微妙ではある。
そこら辺の最低限の手間を惜しんで映像から何も読まずに単に散りばめられた要素に自分が勝手に反応したからといって「その部分を掘り下げていない。分かっていない。時代の要請に応えていない」というのは「広島のお好み焼き屋に来たのに広島焼きが旨くなかった。お前の店は分かっていない」とかというのと似たり寄ったりで、いわばいいがかりみたいなものだ。この流れでいくと例えば広島のお好み焼き屋は全て広島焼きが旨くなるように営業努力しないといけない事になる。そりゃそういう事を(遠まわしにでも)言えば怒る人は怒ると思うよ。それとも文句を言っているひとは広島のお好み焼き屋は全て広島お好み焼きを上手く作れように努力するのが当然だとでも思っているのか? 
それはあまりにも乱暴だ。

論点から外れているのであまり詳しくは書かないけど、ついでに言っておく。僕は広島が好きなので広島を例に挙げているが、宮島近辺では広島焼きがメインではなく、牡蠣がはいったやつとか、ちょっとそこから離れると店のオリジナルとか色々あって、尾道方面に行くと、今度はお好み焼きがメインではなく、尾道ラーメンがメインになる。広島だからと言って広島の全店舗のお好み焼き屋が広島お好み焼きを美味しく作るのに集中している訳ではないし、むしろそういうのってちょっとおかしいよね? それよりこういうのが多様性ってやつじゃないの?

Gaius_Petronius氏のビビオペに対するブログ記事があまりにも自分の価値観を絶対視して物事の正否を判断しているのでチト腹が立った。でももう、この話題も旬を過ぎているし、何か月も前の記事に色々言うのもちょっとキモいし、粘着質で陰湿ではあるのでこれ以上追及はしない。
それから氏の言っている事は極めて不明瞭でよく分からないというのが正直な感想でもある。だからぼくの論説自体も的外れなのかもしれない。記事を読むかぎり『テキトーに書いた言葉なんで、意味はない』と明言しているので氏も自分が何を書いているのかよく把握していないようだ。

確かにビビオペにも問題点はある。れいの正体云々からの展開は急ぎ過で視聴者をおいてけぼりにする可能性がある。解消していない各キャラの過去の問題みたいなものもある。フェチズムにこだわりすぎてないがしろになっている箇所が目立ち、ぼくのように楽しめる層もいるけど、そこが面白くなかったひともいるだろう。でも氏のビビオペに対する記事は最低限必要である問題点の指摘をこれっぽっちも行わず、安全地帯からビビオペを貶す文章に自分の不満だけをうじうじと便乗させている時点で、読む人を酷く不快にさせる以外には全くなんの役にも立っていない。(問題点もひっくるめて)ビビオペが面白かったぼくの立場からすればくだらんとしかいいようがない。まあ、無視すればそれで済むだけの話なんだけど。

おしりアニメらしいけど、ぼく的にはひまわりちゃんアニメでした。ううっ、グーグルで「ビビッドレッド・オペレーション」を検索すると「ひまわり」がサジェストされるぞ……。ぼくだけじゃないのか……。おしりはむしろ可愛く小さくて、ひまわりちゃんのおっぱいが魅力的なので「ひまわりおっぱい」アニメだ……。

うろぶちげんのツイッターアイコン
ドニー・ダーコ』を遂に観る。13年間の間に勝手にぼくがハードルをあげていたので、いざ実物を鑑賞するとそれほどでもないっていうか……いや! おもしろくはあります。110分、目が離せませんでした。

前半はユーモアで理知的で理不尽で、エロティックな会話と展開が連続するのでイギリス映画っぽいのだが、後半から(製作者のドリュー・バリモアがヒステリーを起こして大声で怒鳴り出すあたりから)段々90年代、ゼロ年代アメリカ映画っぽくなる。周囲が間違っているのか、自分がおかしいのか、次第に分からなくなって、でも孤独な怒りだけはある。それで破壊願望があるんだけど、それがまだ自己破壊願望に繋がっていた頃のアメリカ。当時のナイン・インチ・ネイルズとかマリリン・マンソンとかKornあたりをリアルタイムで聞いていた人にはこれで大体伝わるかと……(甘え)。

ウサギのフランクって虚淵玄が一時期ツイッターアイコンに使用してたよね。
うさぎの着ぐるみを着たまどかがほむらの枕元で「暁美ほむら。世界の終わりまで後28日と6時間42分12秒しかないのだ」って言ってる! とかそんなキモい見方も出来るよ。

ウリの一つに「劇中に流れる80年代UKのニューウェーブの歌詞はシーンと密接につながっている!」とかあって彼女とのセックスの最中にジョイ・デヴィジョンとかが流れたりするのだがぼくの購入したディスクの日本語字幕では歌詞の日本語訳は一切表示されないのでこれ意味ねえよなあと思った。
キック・アス』も劇中歌とシーンは関係があるのだが、あれも歌詞の日本語訳がなくて意味ないよなあ。
まだ見てないけど『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ではきちんと劇中歌の歌詞の日本語訳が表示されるらしい。

ケッコンカッコユリ
艦隊これくしょんの同人誌、ZAZENBEAT千尋さんの『第九水雷戦隊ケ号作戦』がすごい面白かった。というか同人誌だなあって思った。
不知火と摩耶、鬼怒がサルガッソーで合流して脱出する為に敵と戦うんだけど、最初の一ページから最後の三十五ページまでずっと戦闘シーン。
格好いい。美形の不知火と摩耶がメインなので、自然と絵面的にはよくなるんだけど、それでも千尋さんの絵はエロくて魅力的で商業レベル。でも最初から最後まで戦闘なんて商業ではありえないし、千尋さんの脳内設定艦これに規準しているし、そもそも必要最低限の情報だけで戦闘シーンのみ描いている時点で『艦隊これくしょん』というコンテンツが共通文化として存在してないとダメなので、やっぱり商業は無理。でも作画もストーリーも商業レベルっていう、なんていうのかこれは同人でしか出来ないよなあって、すごく久しぶりにショックを受けた。
千尋さんもノリノリで描いているから、絵が綺麗で躍動感があって、細かくて、迫力がある。可愛いし。作画コストを度外視していてこれぞ同人! って感じですわ。終盤で不知火が魚雷再装填するシーンが滅茶苦茶かっこいい。
これがまた横からぐちぐち口を出されたらこういうものは描けないんじゃないかって気はすごくした。

人を選ぶ作品だとは思います。でもぼくは読みやすくて受け入れやすい作品っていうのは、一般受けしやすいけれど、それよりもっと読みやすくて受け入れやすいものが登場するとお客は全部そっちにいっちゃうと思っています。文学が映画に負けて、映画がテレビに負けて、テレビがインターネットに負けるとか、一般書籍がラノベに(売り上げで)負けるとかっていうのはこういうのだと思う。
で、ぼくとしてはとっつきにくくてもいいから、そのメディアや作家にしか出来ないことをやっていれば、自然と土壌は完成すると思っている。でもそれは玄人受けとか、マニア向けになってしまう。売り上げの採算が取れないし、企業が運営するには問題がある。
だから同人だなあって話です。
そういう閉じた環境でいいのか! というのはまた別の問題で、同人業界内の循環でそういう土壌が豊かになって、そういう時期が訪れた時にまた考えればいいんじゃない?

こうして同人誌に対して同人誌でリスペクトするという沼が完成するのだ。でもそれはそれで同人誌業界の間口が広がったり、作家そのものが豊かになったりするきっかけなのでとてもよいと思います。

今回の『シノハユ』!
ゆえちゃんが親に言う「わたしはオタク」っていう言い方がすごく現代っ子っぽいぞ!

今回の『艦これ』!
2-4で浦風ドロップを目指して頑張っていたら弥生が二人も生まれた。轟沈してしまった大井っちの生まれ変わりと信じたいので、強くなるまでは一切実戦に出さず、箱入り娘として延々と演習という檻のなかで育てていきたい。