二十一世紀の『記憶屋ジョニー』

瀬戸内海アニメ
結城友奈は勇者である』 『かみちゅ!』や『たまゆら』といった瀬戸内海アニメには百合が多いという見識は画面から得られる情報を百合クラスタが勝手に歪曲して百合アニメとして扱っているだけなのですよ。

人生終了
『人生』終了。特になにか盛り上がるべきようなものもなく、普通に梨乃推しの回だった。『人生』らしい最終回だ。

桜Trick』視聴開始。
ちゃんとヘテロに対しても気配りしてある作品なのでみんなここから百合沼にはいればいいよ。百合は怖くないだろう? 観てて気持ちいいだろう? 恥ずかしがることはない。もともとぼくたちは蜂蜜がしたたるピーチパイがお皿に盛ってあれば手を蜂蜜まみれにしながら蜜をだらしなくテーブルに零しつつ、ガツガツとパイをがっつく豚だったじゃないか。俺たちが紳士や淑女だった瞬間なんて、本当にあったのか? おまえが自分の頭のなかに勝手に複雑な夢をつくっているだけだろう? いい加減にひび割れに目を向けて見ろよ。

21世紀の『記憶屋ジョニー』
エリジウム』。BDで。んで、思ったのですが、この監督ってホラーみたいな撮り方するんだなって思った。『第9地区』もホラーみたいな撮り方だったんだけど、二作続けてやられるとホラーみたいな撮り方だなあとしか言いようがない。

第9地区』も主人公がエビになるのってホラーっぽい撮り方ですよね。ねちねちと執念深く、エビに変わっていく過程を撮っていく。
主人公がエビの仲間と地球の実験室に行くとエビがばらばらに分解されている場面がありますよね。普通のSFだったらあんないやらしい撮り方しませんよ。
エビの宇宙船も気持ち悪いじゃないですか。はっきり言って。
これリドスコの『エイリアン』と同じ傾向じゃないですか。リドスコは『エイリアン』を撮る時点でホラーの手法を取ってますよね。
『エイリアン』の宇宙船は大きなお城です。『エイリアン』はヒロインがお城のなかでひたすらお化けから逃げ回るゴシック小説と同じ手法です。もしくはリプリー達が間違ってクトゥルー神話の世界に迷い込んでしまったと取ってもよい。ってこれはスティーブン・キングが言ってたんですけれど。

それでそういう撮り方をしててどうして『第9地区』がSFになるんだっていうと日本のロボットアニメを基礎にしたメカとかのガジェットもあるんだけど、エビに変わっていくと主人公の意識も同時に変容していくからSFなんじゃないかと。

で『エリジウム』もすごいホラーっぽい。M・デイモンが記憶泥棒に志願する切っ掛けがレンジでチンされちゃう時点でアレ、ホラーの撮り方ですよね。
その次に記憶泥棒になる為に強化外骨格を取り付ける必要が生じて手術受けるじゃないですか。ベッドに固定されて、薄気味悪い手術室に運ばれるの、アレはもう完全なホラーじゃないですか。手術室の照明は薄暗いし、周囲にはよく分かんないロボットだかアンドロイドだかのボディがごろごろしてるし。屠殺場。もしくは加工した肉を保管しておく倉庫。いちいち強化外骨格をねじ止めするシーンも見せちゃうし。で、ぼくが「あ、これはホラーだ」って痛感したのが強化外骨格のデザインです。あれって骸骨でしょう。配線も剥き出しになってるの、あれは剥き出しになった血管ですよね。強化外骨格の電源入れると後頭部のモニターにデータが表示されるの、あほみたいな笑えるシーンですけど、あれは脳みその中身が可視化されてるんじゃないですか。で監督っていうのは『第9地区』の時もそうだったんですけど、怖いシーンで噴き出すようなことをさらっとやってしまうじゃないですか。これ完全にホラーの感覚ですよ。気持ち悪かったり、怖い要素が一周して笑いになるっていうのは。
シド・ミードがデザイン担当して宇宙ステーションとかは割かしスタイリッシュに作ってあるじゃないですか。
急にあそこら辺だけ妙にごつごつしてるっていうか、気持ち悪いデザインしてるの狙ってる気がする。武器も無骨なデザインの怖そうなものばかり選んである。

で、宇宙ステーションのデザインっていうかエリジウムに住んでいる人の服のデザインとか、ジョディ・フォスターが中央管制室に行くと高級そうな紅茶のカップを渡されますよね。んなあほな事、普通の現代SF映画がするかい。

これベスターとかスタージョンとかブラッドベリとか、あの辺のパルプマガジンSFのノリじゃないですか。怪奇趣味とSFと一寸古臭いアメリカの理想像がごちゃごちゃになってるの。
第9地区』も似たようなデザインとか要素とか多かったんで、この監督は日本のアニメ以外にも、そこらへんに思い入れあるんじゃないかしらん。
もしくはこれはニール・ブロムカンプが自分のSFを作るときに選択した意匠なんじゃないですか。ディストピアのイメージ(地球もエリジウムも等しくディストピアという感覚は分かり易くてすごく好き)はこれまで散々考案されてきたんで、じゃあ、ニール監督は自分のディストピアを作るときにどうしようって考えて、日本のアニメともう一つ、50年代から70年代のSFのデザインを選択したんじゃないんですか。

エリジウムの侵犯者迎撃システムが笑える。エリジウムに地球からの亡命者が宇宙船でやってくると、わざわざ地球のエージェントに連絡して地球側から迎撃するんですけど、これは平和主義の宇宙ステーション「エリジウム」は基本的に非武装で、亡命者を受け入れるのを理念としていると考えるのが妥当でしょう。ユートピアですから。しかし実際に生活を脅かすやつらが来ると困る。だから秘密裏に犯罪者にやらせてますっていうのじゃないですか。すこし頭のネジのゆるんだ犯罪者が地球から亡命者を撃ち殺すのはエリジウムは感知していません。エリジウムのロボット警官も武装してるけど、亡命者に対しては絶対発砲しませんよね。殴ったり押さえつけたりはするけど。亡命はいいんだけど、違法に国境を越えてくるやつは犯罪者だから制圧してもいい。でも殺さない。ユートピアだから。そういうせこい思考がある気がします。地球側の亡命者もそういう「エリジウム」のせこい部分を突いて、懲りずに何度も何度も亡命を試みる。そう思いながら観るとうける。

M・デイモンや地球側の連中は貧困層。まともな教育受けてないから「エリジウム」制圧も効率よくやれないのもいい。
デイモンがDLして盗んできたプログラムは、世界を改変可能な超重要なプログラムなんだけど、その重要性を説明されても、デイモンは全然把握してない。理解出来る教育を受けてない。それはどうでもいいから俺はエリジウムに行きたいんだよ! って主張ばっかりしてんの。よくねーよ!

なんかそういう小賢しい真似してSFの要素をポンポン入れてくるの笑えますよ。SF要素を逆手に取ったブラックジョークに近い。

この辺の感覚がぼくは五十年代から七十年代にかけてのパルプSFを連想しました。映像でいうと『アウター・リミッツ』とか『トワイライト・ゾーン』に近い。あれもSFかホラーかよく分からないお話が一杯あるでしょう。あの感覚です。

この監督、残酷シーンが多くてグロい死に方するシーンが多いんで、その辺がピックアップされますけど、ピュアな暴力衝動があって撮ってないんですよ。
例えばバーホーべンだったら無差別に虐殺しますけど、この監督の映画で悲惨な死に方するキャラって大抵、その前に悪いことやってるじゃないですか。
悪い事する奴が悲惨な死に方するのって創作のお手本ですけど、ホラーの典型的なテンプレでもありますよね、
最後、デイモンが見え透いたチープなサクリファイスを要求されます。でもこれはお涙頂戴的なものが横溢してるんじゃなくて、この前にデイモンはそれなりに悪い事もしてますよね。だからああなるんだと思います。『第9地区』でも主人公は最後、罪滅ぼしをさせられますよね。
つまりこれは監督なりの自分の映画の文法だと思うので僕としては許容範囲です。


第9地区』と地続きでニール・ブロムカンプの世界を観たような気がする。
ラスト、デイモンとライバル役が花吹雪が舞う中、ポン刀持ってバトルするのいい。この監督はどこへ行くのか。

『日本のフィクサー
『日本の黒幕』冒頭で悪徳議員が当選、周囲の有権者に「いやー、日本の為にがんばります」とか宣言してるんだけど、実はヤクザの斡旋で当選しただけ。でヤクザの御祝辞が「日本の為に頑張ってくださいよ」次のシーンでは既に議員の不正がバレて黒塗りの街宣車が「日本の悪めっ!」って叫んでるんだけど、これだけでお腹一杯。冒頭十五分でヤクザ映画のいい部分をぎゅっと凝縮。
それ以降もホモセクシャルな部分を美麗に描いたり、ピカレスクロマンだったり、権力維持の為の近親相姦疑惑など、ヤクザ映画の総決算的な部分が沢山あって見どころ十分な作品でした。物語構造自体は一貫しているのだが、撮り方と演出によって悪になったり聖なるものになったりと変化するのでなかなか怖い映画。それが万人が楽しめるように描かれているので、小難しく説明しか出来ないような似非芸術ではない、本当の芸術ではないかと思いました。

おピュアな読者
クズの本懐』に登場する登場人物って基本的に愛に贅沢言わないんですよね。得られるんなら本物でも偽物でもいい。そんながっついた姿勢に対して『クズの本懐』ってタイトルかなって思うんですけれど、これに同意してしまった時点で読者も本物の愛を欲しているピュアな人格ということになってしまう。横槍メンゴってそういう意味でこのタイトルつけたのかしらん。

今回の『シノハユ』!
走るシーンが沢山あって躍動感のある漫画ですが、その辺は配慮してキャラデザしているのかもしれないとは思った。『咲-Saki-』も『阿知賀』もキャラがもっさりしててオタク臭い子が多かったんだけど『シノハユ』においてはその限りではないのでなぜなんだろうな、と思っていたら、そんな第一次結論に達した。あと、割かし過去に対してみんなドライに振る舞っている気がする。描写の問題かもしらんけど。辛い過去に対して悪意を持って描写されてない。これはあぐり小林立も不幸に執着しない描き方が出来るということで過去の呪いがつきまとう『咲-Saki-』連載においてはとても重要なことだと思う。

今回の『艦隊これ』!
10/19の藤永田にサークル参加してきた。参加された皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。北加賀、中加賀など、大阪の下町感溢れる立地に囲まれたいい会場でした。港もあるし。
ぼくの九月と十月はほぼ全て藤永田の為に動いていたようなものなので、現在、魂が抜けたようになっている。
あー、この後の人生はおまけかなあって感じすらしている。同人誌作るのは結構長年の夢だった。大きな夢が一つ達成できたのでもう思い残すことはない。