戦時生活『フューリー』

Ost: Fury

Ost: Fury

……いや、えらくドライでタイトな映画を観たなあ……。この映画、虐殺シーンが話題になっているけど、この程度の虐殺だったらスピバ御大が『プライベートライアン』やリドスコ御大が『ブラック・ホーク・ダウン』でやってる筈で、なぜこんなにきついのかと考えたらやっぱりドライだからではないかしら。
即物的な虐殺を見せつける、雑な言い方をするとショーにする、という意味ではスピバ、リドスコの得意技ではあるのだけれど、この映画には別のドライさがあってそれが見せつけられてる感マシマシですわ。

この映画、食事のシーンがあるのだけれど、これが観てて異常に居心地が悪い。特に誰かが銃を撃つ訳ではない。頭から血を吹き飛ばす訳ではない。誰かが恐怖のあまり叫びだす訳ではない。しかし画面のなかも、観客席の観客も気まずい。恐らく戦闘パートや新人いびりパートにも通底しているのはこのたたずまいの悪さであって、見せつけられている感、というのは虐殺シーンそのものではないのではないかしら。

矢張りショーなんだと思う。監督は策を弄し、徹底的に観客を傍観者の位置に置いて画面でひどく気まずい行為を行う。
その行為自体を擁護しても糾弾しても結局は惨めな気分にさせられる。誰も得しない。中盤で行われる食事のシーンはだからこの映画のなかで一番の見所なのかもしれない。

展開自体もドライでタイトなのでちっとも飽きない。ずっと気まずい。極力無駄なシーンを省いて、というよりも、なにもない荒野を移動中にすらSSによって首に「裏切り者」の看板をぶら下げられて電柱に吊るされているドイツ人の死体が頻繁に挿入されるし、地面にはドイツ兵の死体がごろごろしているので居心地の悪さは持続される。
下世話といえば下世話ではある。スピバアンチはよく『プライベートライアン』や『シンドラーのリスト』の見世物趣味的な傾向を嫌う。ぼくはそんな感情を抱いたことはなかったのだけれど、彼らが感じたのはこの感情ではないかしら。
ぼくはすごく気まずい気分でいまこの記事を書いている。『プライベートライアン』を観た直後もこんな感情だったと思う。うまく映画と距離が取れない。すごく久し振りではある。『プライベートライアン』はDVDが販売されて購入し、二回目を観たときにようやく色んな場面に気付くようになった。この映画もその類のような気がする。

戦争映画好きだったら外れではないのでしょう。
虐殺シーン自体は結構フラットなので実はあんまり気にならない。『プライベートライアン』以降、戦争映画=スプラッターというのがトレンドだし、巷では虐殺しまくるFPSがばんばんまかり通っている。今更「こんな酷い戦闘シーンははじめて」というひともそうそうおらんでしょう。むしろ死体があんなにしょっちゅう生産されていたら、新しい死体はその中に埋没してしまいますよ。血の量より死体の量のほうが多いし。矢張り、この映画の注目すべき点は次々に生産される虐殺や残酷行為をドライでタイトな映像によって観客から距離を置くことで、逆に観客にジレンマを起こさせる、監督のドS性にあるのだろう。
カメラもえらく不格好だしなあ。FPSみたいな視点になったと思ったら俯瞰画面になるとかなんじゃそりゃ。ここはほぼ零距離射撃からの砲撃戦もあるM4A3シャーマン対ティーガ−の一対一のシーンなので、監督の「こんな映画観に来る奴はこんなシーンがみたかったんじゃろ?」感満々でハイになりますな。サービスシーン。

全編を覆い尽くしている黙示録感が強烈でもある。荒野の中を突き進む戦車部隊。画面を埋め尽くす爆撃機。絶えず灰色の空。空家。廃墟。どこまでも続くぬかるんだ道。狭い戦車内部で精密機械と化して戦う兵士。
スコアも軍歌と軍靴をアレンジしてサンプリングしてあるのか、これがバックに流れだすと黙示録感がいや増す。
ナチスとかの軍靴とか行進とか、軍歌ってサンプリングされて曲の中に入ると黙示録感増すよね。いや、ナチスに限らんのだけど。そういう不謹慎さを逆手にとって黙示録感を作っている所(何しろブラピの敵は結局ナチスですからなあ)のはそんなに悪くない気はします。と思ったら音楽担当は『ゼロ・グラビティ』のステーブン・プライスだった。ポスト・パンクの影響を受けた連中はナチスのサンプリングが好きだなあ。

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