チャイナ・アイデンティティー

チャイナ・アイデンティティ
『ソード・アイデンティティー』DVDで。これぼくが観たかった種類の映画だ。
監督、脚本はシュ・ハオフォン。『グランドマスター』の武術顧問と脚本を担当。しかも自分で武侠小説も書く。ということで、中国武術にかんしてはエキスパートと見做していいんじゃないかしら。

『ソード・アイデンティティー』明時代の中国が舞台なのですが、武器にしろ、作戦にしろ、人間関係にしろ、すべて明代中国が基礎になっています。
その武器やら作戦やらが全て明時代特有の人間関係に繋がって行くので、舞台設定の時点で明代中国でないとダメー。
で、武器やら作戦やらはどうやらハオフォン監督独自の考案(もしくは考察による)ものなんだけど、これも武術のエキスパートであるハオフォン監督が脚本書かないと齟齬が生じてしまう。

ついでに映像が渋いというか、いきなり西洋の絵画みたいな絵面が登場したり、中国映画のあの、日本人から見れば面白いのか面白くないのかいまいちよく分からないコメディもあったりして、独特の世界観を持っているので、これもハオフォン監督が撮らないと成立しない。

つまりこれは中国という国、ハオフォン監督、という要素が揃っていないと成立しない映画。

ぼくは以前、ブログで

人を選ぶ作品だとは思います。でもぼくは読みやすくて受け入れやすい作品っていうのは、一般受けしやすいけれど、それよりもっと読みやすくて受け入れやすいものが登場するとお客は全部そっちにいっちゃうと思っています。文学が映画に負けて、映画がテレビに負けて、テレビがインターネットに負けるとか、一般書籍がラノベに(売り上げで)負けるとかっていうのはこういうのだと思う。で、ぼくとしてはとっつきにくくてもいいから、そのメディアや作家にしか出来ないことをやっていれば、自然と土壌は完成すると思っている。

って書いたけど、これは別に「バカ向けの作品を作らずにハイブリッドな作品を作り続ければいずれ理解が得られ、業界の尊厳を守ることに繋がるので、お利口で志の高い作家と読者は意識を高く持ってがんばれ」という話ではなくて、ようするに「『ソード・アイデンティティー』みたいなそのメディアとその作家しか出来いことをやっていれば、メディアと作家の特性は守れますよ」という話。そもそも武侠小説は中国の大衆小説だし。

別に小説でもアニメでも作れる脚本なんだけど、アニメや小説にした時点で語り手=監督が変わってしまうので、おそらく全然別物に仕上がってしまう。
内容は『ソード・アイデンティティー』なんだけど映画とは違うものになってしまう。
ハリウッドに持っていくと恐らくこれはガンアクションになってしまうと思うんだけど、それだと四大剣術が火花を散らす『ソード・アイデンティティー』ではなくなってしまう。
ボンクラ映画の『リベリオン』がバカ映画、カルト映画扱いされながらも、どこかで脈々と語り継がれているのはそれなりに理由があるのです。

それを破るのを許容したのがメディアミックスなんだけど、それはそれで全然別口の語り手が存在すると幅が広がって面白いとぼくは思っています。
『艦これ』でもケッコンカッコカリが発表された時点で百合の世界を壊された一部の百合提督は激怒したけど、そもそも作品を好きでないと激怒しないはずで(ぼくの知らない間にコンテンツが終了したゲームは死ぬくらいあると思う)、これは大好きが裏返った結果だけを取り出した現象です。
現に百合提督は依然として根強く存在するし、ピクシブでは百合提督の作品に触発され、あらたな百合が百合提督になるべく『艦隊これくしょん』という作品に参入しています。

上澄みみたいなものを「クールコンテンツ」と名付けてほめそやして、売り出すよりも、作家性やメディアの特性を守っていくことも作品をよりよくするのには大事なのでこういう作品もどんどん作った方がいいよね、そしてそれは別に高尚な話ではなく、むしろ作品を作る上での基礎じゃないんですか、という話です。というかそういうことを教えてくれた作品でした。

元気でいられるから!
『Gの閃光』をぼくは自虐的に自己啓発ソングとして扱っているが、これは恐らく冨野スキー監督が七十年生きてきた人間として体験した普遍的な出来事を歌詞にしただけなのでむしろバーナム効果に近い。
つまり歌詞のなかにさりげに現れるネガティブな部分は冨野監督が体験したネガティブ体験なのだ! と思いつつ何度もリピートしています。
ちなみにこの文章読んで大仰に「冨野は宗教だ! オウムと同じ手段じゃないか!」って言いたいひとは「ジャンヌダルクは魔女だ!」ってダルクを宗教裁判にかけた十五世紀あたりで思考が停止しているのと同じなので散々繰り返されてきた批評をいまさらドヤ顔でぶり返さないが吉。「辛いのはぼくだけじゃなくて、みんな体験することなんだ」って素直に受け止めたほうがいいですよ。

戦争は終わってないんだ!
今月中旬にJOYに行って休憩の時に宣伝を観ていたら高橋洋子が『魂のルフラン』を歌っていたので触発されて歌ってしまった。
全国オンラインにしたら参加人数が二千五百人越えだったので恐れ戦く。JOYの全国オンラインは月末締めなのでまだまだ参加者が増える可能性がある。
米倉千尋の大ヒット曲『嵐の中で輝いて』(アニソンフェスで若手ユニットがカヴァーして歌うので未だ現役と思ってよい)の参加人数が千五百人だったのでその倍と思ってよいのでは。
アニメ批評界界隈では「脱エヴァ」論などがまかり通っているが、これがぼくたちのリアルなんだ! というか、あれか。酔っぱらった戦争体験者が宴会で海軍小唄の『ズンドコ節』を手拍子打ちながら歌うようなものなのかなあ……。

面白かった百合
いまさらなんだけど林家志弦の『思春期生命体ベガ』がすごい面白かったので読んでいない百合スキーは読むべし。
色んなポップな要素がぎゅっと一冊に凝縮されていて、なおかつ林家特有のポジティブ感とどこか少年誌的熱血展開を思わせる王子様が助けに来たぜお姫様! (百合なのでどちらもお姫様だけど)なヒロイックな展開はグー。
悪魔のリドル』で多種多様な要素をごちゃ混ぜにしながら、レズキャラが相手を倒すために相棒とイチャラブしつつバトルしていたあの展開が好きならおすすめ。
「百合とは肉体的接触を伴わず、思春期特有の繊細な少女が魂の尊い繋がりだけで結ばれて……」とかいうロジックを「うるさいでス!」と爽快にベガがぶっとばしてくれるし、ポジティブさ故にちっとも陰湿に感じないので、爽快、爽快。
林家志弘の熱血アクションといえば『はやてブレード』があるけど、あれはどちらかというと掲載誌への配慮からか少年熱血格闘漫画のキャラを女の子に置き換えただけなのに対し(それでも面白いのだが)『思春期ベガ』は恋愛コミック専門誌『楽園』掲載だったので、恋愛パートも十分にある。
百合姫』でググると『ゆるゆり』の大ヒットゆえに「なもり」が上位にサジェクトされるけど、エンタメと百合を両立させている林家志弘ももっと評価されていいと思う。

今回の艦これ!
レベル上げ、レベル上げ。