とある科学の頭脳都市
とある科学の超電磁砲とある科学の超電磁砲Sアニメコミックディストピア
Grow Slowly (初回限定アニメ盤) (TVアニメ「とある科学の超電磁砲S」エンディングテーマ)
- アーティスト: 井口裕香,渡辺翔
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2013/05/15
- メディア: CD
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とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲 (1) (電撃コミックス)
- 作者: 冬川基,鎌池和馬
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2007/11/10
- メディア: コミック
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映画史に輝く、呪いの都市を舞台にした映画のタイトルはリドリー・スコット監督「ブレードランナー」
伝説の2019年L.A.は関係者の間で「リドリーヴィル」と呼称された。
さらに追い打ちをかけるようにギブスンのサイバーパンクSF小説「ニューロマンサー」が発表される。
「リドリーヴィル」と瓜二つの映像世界を保持するこの小説の登場により、以降の未来都市は完全にイメージが固定された。
あらゆるSF映画は腐敗し混沌とした無国籍、無政府状態の都市を描写する際には「リドリーヴィル」のイメージから脱却することが不可能になった。
メビウスの「ロング・トゥモロー」
フランスのコミック作家メビウスによる「ロング・トゥモロー」とポランスキーの映画「チャイナタウン」をはじめとしたフィルムノワールの影響を受け、シド・ミードの編集デザインを経過した「リドリーヴィル」の呪いから映画界がまともな形で脱出できたのは2002年。スピルバーグ監督による「マイノリティ・リポート」の2054年のワシントンD.C.だったんじゃないだろうか。すくなくとも僕の主観ではそうだ。
もちろん、それまでにも魅力的な未来都市を描いた映像作品はあったのだけれど、一番具体的な形で提出されたのが「マイノリティ・リポート」だと僕は思う。後のSF映画における影響度やデザイン性が他の作品に比べ、桁外れに違うのだ。
ちなみに「ブレードランナー」「マイノリティ・リポート」共にSF作家P・K・ディックのSF小説が原作である。
「リドリーヴィル」よりも完成度が高くはないけれど、サイバーパンク以前のSF未来都市観に、強烈な消費社会、情報社会、環境管理型権力、都市と郊外が限りなく完璧に近い形で区分されたワシントンD.C.は「リドリーヴィル」同様、盛んに模倣されるようになる。
日本のアニメ界も然り。
あらゆる映像メディアがそうであるようにアニメ界においても未来都市は「ロング・トゥモロー」「チャイナタウン」が基礎となっている「リドリーヴィル」、「既存のSF価値観の未来都市」が基礎となっている「2054年のワシントンD.C.」どちらかのイメージに傾くようになった。
もっとも「既存のSF価値観の未来都市」の時点で「2054年のワシントンD.C.」からは、どんな未来都市も逃れられないのだが。
しかし「リドリーヴィル」は圧倒的ではあることよ。宇宙人のアパルトヘイトを描いた傑作「第九地区」ですらも、スラムや宇宙船の内部などは「リドリーヴィル」の影響を受けざるを得なかったのだ。
「攻殻機動隊」「サイレントメビウス」「マルドックスクランブル」「サイコパス」は「リドリーヴィル」だろう。
スチームパンクの「スチームボーイ」でさえも腐乱した19世紀都市を描写する際には「リドリーヴィル」からのがれえなかった。
いかがわしい卑近な未来都市を追求すると「リドリーヴィル」からは逃れられないのだ。逃げられないのか。逃げたくないなあ。
「爆裂天使」「ロボティクスノーツ」「RD電脳捜査室」「ライドバック」は「2054年のワシントンD.C.」だ。
「ヒートガイジェイ」は犯罪を予見して防止する都市安全管理局中央司令部特務課、機能によって区分された都市、健全な社会を目指して喫煙すらも禁止されているという環境管理型権力タイプで「マイノリティ・リポート」と類似点が多い。放映は両者共にほぼ同時期だ。旧来のSF価値観を保有した結果、こうなったんだろう。
「電脳コイル」は日本郊外の部分を強調した。先駆者の「カウボーイビバップ」は海外にも評価が高い。もっとも「カウボーイビバップ」は古典的スペオペの類型だから、当然かもしれない。むしろハードボイルドであったり、宇宙船に光と闇のコントラストが高いのは「チャイナタウン」といったフィルムノワールを手本にした「リドリーヴィル」寄りかもしれない。
「マッドマックス2」や「ニューヨーク1997」「ウォーターワールド」「ポストマン」「砂の惑星」「トゥモローワールド」「SW」のような世界崩壊後やファンタジーの世界観から影響を受けたパターン、「ガンダム」のような宇宙ステーションといったパターンも無論、存在するけれど、ここでは割愛する。畜生。悔しいよ母さん。
それはともかく。今年春に放映が決定している「とある科学の超電磁砲」と、その二期である「とある科学の超電磁砲S」は完全に2054年のワシントンD.C.」派だ。
ただしこのアニメも完全には「リドリーヴィル」からは逃れられなかった。わずかな部分に「リドリーヴィル」の片鱗がある。
- あらゆるものが潔癖に取り入れられた街
「ブレードランナー」で衝撃的だったのは無国籍、消費、情報社会を腐乱した視線、ポストモダンデザインで捉えた箇所にある。
ゴテゴテと過剰装飾した街並み。入り乱れる言語。ごみ溜めの山。降り続ける酸性雨。一部の建築物は完全に機能しておらず、破損した箇所は放置されている。一方で企業のビルディングはあらゆる施設が整っており、企業が政府よりも権力、財力を有していることが窺える。
「ブレードランナー」の2019年のL.A.「リドリーヴィル」
「マイノリティ・リポート」では都合のいい古典的自由市場社会と環境管理型権力の世界を機能美、モダニズムデザインの視点で捉えた。
潔癖な街並み。整頓された区画。閑静な郊外と交通が激しい都市部が区分けされ、機能美を重視させている。どの地区にも最低限の生活インフラがあり、法によって厳しく人間は管理されている。
政府と連携した企業が用意した網膜ID認識システムは全地域に渡って相互監視と消費社会を実施している。
政府が完全に主導権を掌握している証拠だ。
「マイノリティ・リポート」の2054年のワシントンD.C.
「とある科学の」の街並みはモダニズムデザインだ。鋭利な角ばったビルディングと流線型のデザインで街は構成されている。
また18、19世紀のヨーロッパ建築も導入されている。この景色はセクト分けされて存在している。商業地区と居住地区はアニメを観る限りでは区画整理されていた。美琴の所属する常盤台校さえ、他の学校と区分けされて存在している。
観葉植物と道路は舗装によって完璧に区切られ、街の景観を保っている。「2054年のワシントンD.C.」だ。
「とある科学の超電磁砲」の学園都市
- 「2054年のワシントンD.C.」をモデルにした「学園都市」の構造は「脳」に似ている。「とある科学の超電磁砲は「脳社会」を描いている。
「2054年にワシントンD.C」を模した「学園都市」は機能によってセクトごとに区切るという手法をとっている。これは脳の構造と類似項がある。情報化都市である以上、潔癖に最適化するにはこの手法が一番だからだ。
「とある科学の」コミック本編冒頭で
『学園都市では人口の八割に及ぶ子供たちが日々頭の開発に取り組んでいる』
と断わってあるのは伊達じゃない。脳を体現した都市なのだ。
生活インフラは完全完備。「ジャッジメント」という子供警備システムがあり、その上位に親的存在として「アンチスキル」がある。
法整備は民間にシステム分けされて健全に機能している。商業地区と居住区は互いに情報を交換しあっている。
本編では、初春がネットワークシステムの前に坐るだけで都市すべてを網羅している描写が頻繁に挿入される。
政府の監視カメラや自治体、あるいは企業の補助による相互監視システムが実施されていないと不可能な風景だ。
学園都市は脳と同様、各セクトが統合されて初めて完全な一体型として機能するようになってる。丁度、脳が各部位を分担させてニューロンとシナプシスで繋げ、統合しているように。
この模造された脳のネットワークシステムは人間の脳が司る視覚や感覚を刺激するようにつくられている。
「2054年のワシントンD.C.」のように派手ではないとはいえ、「学園都市」には広告イメージが街の至る場所に設置されている。
一方「リドリーヴィル」のように告知を行う飛行船が上空を常に滑空してもいる。視覚情報が脳に恍惚を与える程の情報インフラが整備されている。佐天さんも「レベルアッパー」の都市伝説に興奮を覚えている。なにより美琴たち自身が「噂話」という情報に夢中になっており、それがリアルとかなりの確率で連動している。
企業がかなりの確率で行政に介入し、街そのものが消費に結びついている可能性がある。
医療分野でも高度な技術が導入されている筈だ。「脳の開発を目的に作られている」のだから。緊急時には脳治療を中心とした医療活動が必要とされる。「妹達」計画のミサカの存在からも明白だ。ミサカはDNAマップ技術の産物だ。
学園都市にはありとあらゆる医療ラボが設置されている。
「とある科学」を観るなり、コミック版を読むなりしても、強烈な度合いで道路、モノレール、バスといった交通機関が強引に画面に割り込むように入ってくる。というより風景の一部と化している。交通インフラは完全に整備され、充実している証拠だ。これが先ほど述べた脳のニューロンを意味していると捉えてもいいだろう。
アニメ版の冒頭で「ホント、退屈しないわね。この街は」というセリフがある。これはそのままこの街の生活インフラ、情報インフラ、法、娯楽、福祉、医療、交通、あらゆるものが揃っている状況を指しているともいえる。
消費感覚が強烈だ。美琴たちはほぼ毎回、スイーツ以外にもなにかしらの物品を購入している。あるいは購入を予定している。
話が脱線するけれど「リドリーヴィル」「2054年のワシントンD.C.」共に強烈な消費社会を描いている。そもそも両者の原作者であるP・K・ディックは消費社会を作品のテーマに組み込むのが得意だった。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」では保持している動物が高価な本物か、安価な人工物かどうかで生活ランクを測定している。
「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」はつらい生活から脱出する為に、みなこぞって企業の提供するドラッグに夢中になっている。
短編では「CM地獄」という24時間、常にCMに晒されている社会を描写し、「追憶売ります」では記憶すら売り買いする。
「追憶売ります」を長編映画に仕立てたのがリメイクもされた「トータル・リコール」だ。
側面で脳にはない、環境管理型権力というより、理想社会が避けて通れないスラム地域もある。
「マイノリティ・リポート」でも低所得者層が居住区にしているスラム地区が存在していた。
そこに住む住人は旧ソビエト連邦がそうであったように「存在しないもの」「あってはならないもの」として描かれてる。
「とある科学」も然りだ。学園都市は都市として完全に機能しており、美琴達は娯楽や情報、福祉、法律を簡単に享受可能なのだが、それは恐らく何万人ものワーキングプアが支えているからでもある。事実、とある科学では「不良」「はみだしもの」「能力なし」が「スキルアウト」と呼称され「悪」「あってはならないもの」として描写されている。
それを体現したのが「レベルアッパー」事件であり、背後に隠れていた木山晴生と彼女が愛した最も「あってはならないもの」「存在しないもの」として扱われている「チャイルドエラー」だ。
ディストピアに顕著な大手有名ブランド志向や古典自由市場主義をよしとし、「無能」「凡人」を軽視した学園都市の新自由主義は「レベル5」と「チャイルドエラー」の相対関係に酷似している。
- チャイルドエラー生体実験事件は頭脳都市ならでは
木山春生が関わった「レベルアッパー」は能力の有無で人権が決まる機能重視社会の欠点を描いている。しかも「脳」による「能力」という非常に観念的な機能で。
この学園都市では人権イコール能力だ。人権という表現が穏やかでないなら、単純化された能力がひとの価値を決めている社会と表現すればいいか。
例え優秀であっても次の優秀な素材があれば代替可能である。というより、この学園都市は現代社会同様、常に替えが効く優秀な人材の開発に余念がない。そこには人権が無視されている。リアルなのは人権よりシステムだ。
つまり、観念のみの世界だ。観念とは脳の認識レベルの話だ。脳社会だ。
「レベルアッパー」は使用頻度が高い脳部位が異常に発達する脳の関係ともリンクしている。使用頻度が高く発達した部位とは御坂美琴である。これと併せて「優秀な代替えが効く脳社会」はそのまま「妹達」事件にリンクする。
そもそも「レベルアッパー」の構造そのものが脳を模した仕組みだ。
個々人の微弱な能力はセクト分けされているが、ネットワークを介して能力を連結させ増幅するのが「レベルアッパー」だ。
これはそのまま学園都市のセクトとネットワーク機能のミクロ版だ。脳の機能を区分化させ、統合してはじめて完全に機能する方式そのままだ。
「レベルアッパー」の人間の脳を繋いで処理させるシステムは、人間の頭脳を模した並列コンピューターシステムマシンと非常に類似性が高い。
本編でも木山がデュアルスキルと化すのは「ネットワークという名のシナプスで出来た「巨大な脳」」の結果である。
学園都市がネットワークを介して巨大な存在と化すように、木山も「レベルアッパー」というシナプスに類似したネットワーク機能を使用して巨大な脳と化している。
これは学園都市の並列しているセクト区分を統括して一つの巨大な都市として機能させる、というシステムをそっくりそのまま木山に体現させている。それは繰り返すけれど、並列コンピュータとほぼ同じ構造だ。
そもそも木山が「レベルアッパー」を拡散させたのは『樹形図の設計者』と呼ばれる超高度並列演算器の使用許可が下りなかったからだ。
「レベルアッパー」を解除する方法もネットワークに「解除キーを放送する方法」を介して行われている。
脳の周波数をロックするというのは恐らく受容体が受け取る伝達物質を一定のパターンに留めておく手法だと推測出来る。
脳の信号伝達基本構造は、受容体と伝達物質のやりとりで構成されているからだ。
その伝達物質の受容を可能にするのはやはり「動くように命じる」伝達物質である。
「レベルアッパー」解除の音楽は、個々の受容体に対しての「解除」となる伝達物質と捉えることも可能だ。
- 木山春生は学園都市の体現者。
木山は分かり易い。木山の世界ではコンピュータがリアルだ。
常に優秀なコンピュータを探す一方で、チャイルドエラーに心動かされた彼女の観念上では、コンピュータとチャイルドエラーのみがリアルである。だから平気で学園都市の人間を並列コンピュータの代わりに使用できる。
ただし木山にとって子供は限りなくリアルだ。人権がある。そこに救いがある。しかしそれ以外に対しては人権がない。法もない。
「レベルアッパー」に陥れば場所を選ばず意識を失う。なら風呂場で意識を失えば溺れるかもしれない、と木山にとってリアルである子供の初春に指摘されて初めて自分の「想定外」に気付く有様だ。頭脳が優秀で自分を「理論派」と評する木山が簡単な落ち度をそうそう見逃すとは考え難い。木山にとって一般人はリアルではない証拠だ。
木山は学園都市特有の脳の認識だけで生きている。観念の人間だ。
美琴たちの住む学園都市とは「超能力の開発」という時点で非常に観念的な目的で作られている。
ちなみに木山晴生は環境管理型権力システムの被害者でもある。自分の前にある選択肢から自分と社会に対し、常にベストチョイスしているように目には映っていたのだけれど、実際には権力側の都合のいいようにしか選択していない。
木山は子供の死体を目の前にしてその事実に気付く。死体は限定された社会性から解放されており、常に人間の原始的な姿を晒すという特徴がある。
学園都市に死の影がみえないのは、管理によって隠蔽されているからでもある。
また新自由主義がそうであるように、木山は権力に屈服させられる。「レベルアッパー」事件後でさえも、美琴とジャッジメント、アンチスキルの手によって拘束させられる。
もっとも美琴とジャッジメント、アンチスキルも環境管理型権力のシステムに盲従させられているだけだ。
だから木山が美琴に残すセリフ、
「君も限りなく絶望に近い運命を背負っている」
は予見であり、警告である。実にディストピアSF的な展開だ。
最後に補足すると木山は子供に好かれている。また最先端医療関係者、高度なIT技術保有者でもある。職業や特技、素性からして学園都市の化身のような存在だ。
- 第二期の「妹達」は第一期のテーマを繰り返している。
第二期ではクローンミサカが登場する。詳しくは触れないが、ミカサは機能重視社会の犠牲者だ。
しかも学園都市の最先端技術の粋を集めた結果の使い捨て部品として。
学園都市は常に優秀な代替え部品、能力者を探している。それは御坂美琴も例外じゃない。
クローンミサカと美琴。特に美琴は木山が指摘したように、環境管理型権力システムに盲従している。常に社会に役立つようベストチョイスをしているよう本人には映るけれど、実は権力の意のままに動かされているに過ぎないことが第二期で明かされる予定だ(原作どおりに進むのか関係者じゃない僕は知らん)。
クローンミサカと美琴は、あらゆる点においてチャイルドエラーと木山の関係そのままなのだ。
コミック通りに進めばだけどね。スマン。
だから第二期はテーマを繰り返している、というより、相対する関係がやがてネットワークで共闘関係となり、環境管理型権力という観念と消費で構成されたディストピアへ反抗する、というのは「とある科学の超電磁砲」の一貫したテーマなのだろう。
完璧な話にはかならず裏がある。学園都市も然りだ。この記事を書くにあたって、一期とブレラン、マイノリをBGVとして流していた。そこで気づいたのだけれど一期は先の展開を知っていると、セリフの端々に学園都市に対してのアイロニーめいたものを感じさせる要素が含まれている。例えば黒子が一話で美琴に語る。「実験都市ですから」
ディストピアと闘う、木山とチャイルドエラー、美琴とミサカ。そしてアクセラレータ。これはそのまま「ブレードランナー」の主役デッカードとレプリカント、「マイノリティ・リポート」の主役ジョン・アンダートンとプレコグともリンクしている。
ハリソン・フォード演じるデッカードが、警察からレプリカントの抹殺を強引に依頼された時、こう応えるシーンがある。
「ノーチョイス?(選べないんだろ?)」
警察の答えはもちろん「ノーチョイス」だ。
デッカードも、アンダートンも美琴も運命を選べない。
〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 (映画秘宝コレクション)
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- 作者: 伊藤計劃
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